見出し画像

いつかあなたと花降る谷で 第3話(9)

 途端、肌が粟立ったフィーナである。
 ライオネットがドアを開けると、部屋の中から気配がしたような。マァリはそっとフィーナを自分の後ろに置いて、冷たい顔をして奥を見た。
 死性は死体のみならず、物に宿る時もある。どうやらその手のものが、この部屋にあるようだ。ライオネットは……? と探る気配で、マァリは彼の後ろ姿を見遣る。
 ぱっと振り向いた少年は腕を広げてマァリに言った。

「この辺にあるものならば、好きなもん持ってって良いから」

 と。
 何にも気づかないように、あっさりと彼が言うので、彼の視線が向く前に表情を和らげたマァリである。

「これ……」
「うん。俺が作った。使ってみて気に入らなかったら、返してくれて構わねぇから」

 もちろん別のものと交換して行ってもいいぞ、と。
 ジャンク品一つで、一つと交換らしい。
 やんわりとマァリから視界を遮られたフィーナが、後ろからそっと部屋を見たようだ。

「わぁ……凄い……これなぁに?」
「時計とかだな。あとは押すタイプの呼び鈴とか。動物捕る罠もあるし、勝手に演奏してくれる楽器とかも。要はまぁ、何でもだ」
「何してるのかなー? って思っていたけど、ライオネットはこういうものを作っていたのね」
「まぁな。魔法が使えないやつでも、似たような事ができたら便利だろ?」

 それは確かに便利なことで、そうねぇ、と返したフィーナだった。粟立った肌も元に戻って、少し前の悪寒など、忘れてしまったような振る舞いだ。
 マァリは平気そうなライオネットを見遣り、一瞬だけ反応したが気にならなくなったフィーナを見ると、ふぅん、と考え事をしたようだ。
 彼の生活を想像するに、最近ここにきた「部品」と言うより、暫くこの場に置かれたままの作品に見えたから。下手に刺激するよりは、そっとしておこうと思い、フィーナに数日街へ行くことを伝えようと考えた。
 平和な山の住人の中、異彩を放つ少年である。機知に富むように見えるライオネットを、騙すのは難しいと感じたからだ。それなら彼の持つ善意のままに、ジャンク品を探してくるのが手っ取り早い。そして問題の機器を譲り受け、誰も居ないところで処理するのが最良と見た。
 部屋へ入ろうとしたフィーナを遮り、マァリは少年の家を後にしようと、帰宅の素振りを見せていく。

「欲しいものがあったので、ジャンク品、探しに行こうと思います」

 にっこりとマァリが言うと、フィーナは察してくれたようだ。

「おう! 頼んだぜ? 俺も楽しみにしてる」

 ライオネットもからりと笑ってくれて、はい、と頷いたマァリである。
 意識は彼の物置部屋の一角にあるけれど、何も感じないライオネットも共に部屋を出てくれたので、お役目のあるマァリとしてはホッとするような気持ちになった。
 人に宿る悪いものは、その人の体などを乗っ取るが、物に宿る悪いものは時間をかけて、所有する人を狂わせるような働きをする。そうしたものは高価なものや古い物に宿りがちであり、ライオネットの特性を聞くと、引き寄せやすい体質なのがわかる。
 これは上手に仲良くなって、定期的に様子を見にくる必要がありそうだ。
 少なくともフィーナが暮らす深山において、彼女と付き合いのある人たちに関わりのあるものならば、排除してあげたいという人並みの気持ちを持つ彼である。
 平和な場所は平和なままで、時が過ぎれば良いのである。その手伝いができるなら、自分が何者だったとしても、構わないという気持ちが今はある。
 じゃあね、また来るわ、と言うフィーナの横で挨拶をして、マァリはライオネットの要塞を後にした。

「今夜出発して、十日ほど留守にしてもいい?」
「分かったわ。気をつけてね。あ、どのくらいに出るつもり? その時、見送りに出るわよ」
「大丈夫。荷物を整理して、夜中に出ようと思うから。フィーナはそのまま寝てていいよ」
「えっ。その時間だと、この子たちも眠っているんじゃない?」
「うん。だから一人で降りるよ。体も鈍ってきてる感じがするし、運動がてら行ってくる」
「…………」
「心配しないで? 降りる方は簡単だしさ。帰りは遠慮なくこの子を呼ぶよ。きっとクタクタになってるだろうし、早くフィーナに会いたいし」

 真っ白な飛竜を見遣り、聞いたフィーナは安心したようである。ついでに「早く会いたい」と言ってもらえて、感じるものがあったようだ。だけどその気持ちの名前を知らないように、不思議な顔で自分を抱くマァリの方を見た。

「嘘じゃないよ? 本当に。ただ、ライオネットさんが欲しい部品はさ、もっと内陸の方に行かないと中々見つけられないと思うんだ」

 今回は一人で行くから馬車じゃなくて馬を借りるし、旅行で行った街まで行けたら、そこから先はもっと足が早い乗り物があるからね。早く見積もって十日だから、見つからなかったもう少しかかるかも。その間、フィーナに会えないと思ったら、俺だって寂しくなるよ。
 マァリは気持ちを込めて、彼女を抱く腕の力を増やしたようだ。でも、優しい力だったから、ほんの少ししか近づかない。けれど、気持ちが近づき始めた二人の間だったから、フィーナにもマァリにも十分甘い距離だった。

「おかえり、って言ってくれる?」

 空の上で二人がいちゃつく。
 うん、と頷いたフィーナは、眠る前に行ってらっしゃいも伝えるね? と。
 途端にくしゃっと笑い、可愛い顔をしたマァリだったから、その顔も初めてね、とフィーナは無言で見つめてた。
 マァリは不思議な人間である。
 深く積もった雪のような、青白い髪が彼女の視界で揺れていた。
 瞳は夜明けの青である。そこには知性と包容力、強さと愛情深さが滲む。
 でも、彼の弱さも滲んで見えて、フィーナは不思議な気持ちになった。これだけ完璧で素敵に見える男性なのに、どうして、何を恐れているのか、と。
 勿論、そんなことは聞いたりしない。人間じゃなくても誰しもが、踏み込まれたくない領域を持つからだ。
 マァリは本心で寂しいと思ってくれていると感じたし、おかえりと言って欲しいのも本当のことと感じられた。フィーナに「行ってらっしゃい」と言われることも凄く嬉しく思ったのだろうし、そっと抱き寄せた腕の力も、フィーナのことを考えてくれているからである。
 だけど一瞬、フィーナは思う。マァリは自分と恋人になってもいいと思ってくれているようだけど、その実、誠実な態度を取るようで、何かを恐れている気配が滲むのだ、と。
 丁寧な態度は理想的だが、フィーナに踏み込むことを、恐れているような気配があった。

「フィ、フィーナ……?」

 彼に抱き寄せられても、不思議と埋まらない距離を、フィーナは思い切って詰めてみた。飛竜の鞍に横に座り、彼の左腕で支えてもらう体勢だから。ピタッと体の左側を彼の胸につけるように、自分から男性の胸の中へ飛び込んでみた。
 マァリは慌てて空いたスペースを、詰めるように腰を抱いてきた。小柄な子供の色仕掛けでは、何も感じないかもしれないが。少なくともフィーナはどきどきしたし、十日も彼が居ないのか、と思ったら。彼の脇腹の服を掴んで、体を預けるようにする。
 多分、体温を感じたかった。実際は服で分からないけど。それから自分を預けられるか確認したい気持ちがあって、受け入れられたから安心し、そのまま甘えてみたのである。
 マァリの体はしっかりしていた。父親に抱かれた時よりも、全体的に固い気がして、強そうだな、とも考えた。人間は汗をかくと聞いたけど、街ではいろんな匂いを嗅いだけど、マァリが纏うそれは爽やかなものである。
 そうしてもう少し考えた。

「ねぇマァリ?」
「え? な、何? フィーナ」

 予想外の行動に、耳が赤くなっていた彼である。
 フィーナはそれに気づかずに、「私が大人だったら……」と。

「もし私が大人だったら、すぐに夫婦になろうと思った?」
「え? ちょっと意味がわからないけど……」
「あのね」
「うん?」
「今、凄く思ったの。もし私がもっと大きかったら、簡単にキスができるのに、って」

 え!? と動揺した彼である。

「どっ、どうして急にそんなこと……?」
「もう少しお友達がいいのかもしれないけれど……」

 言い淀むフィーナを見ていたら、なんとなく勘づいた。

「大丈夫だよ? ちゃんと帰ってくるし」
「え?」
「思ったより寂しく感じちゃったんでしょう?」

 ありがとう、そう思ってくれて。でもちゃんとここへ戻ってくるよ。
 彼に言われたら、そんな気もしてきた彼女は、よく分からないまま飲み込んで、どうしてキスをしたくなったのか、を、寂しいから、と繋げていった。

「うーん……そうなのかな?」

 俯いて考える彼女を見遣る。
 たとえ彼女が子供だとして、贈るキスはそれだけじゃないということを、そろそろ教えてもいいのかもしれない、と。

「フィーナ」

 呼ばれたフィーナは「なぁに?」と彼を見た。
 そこに小さなキスを贈る。風に飛ばされた前髪の隙間へ。小さなおでこにキスをした。
 フィーナは。

「?」

 と、思った通りの可愛い顔をして、「??」と口を開けながらマァリを見続ける。

「大きくなくてもキスはできるよ? ただ────」

 俺、今凄く、緊張したけどね────。
 耳だけ染めた赤色は、頬の方まで侵食していた。
 フィーナはセリフを聞いて、今の彼の状態を見て、ぽかんとした口を、むずむずと閉じていく。

「家に着いたらもう一回して?」
「!? フィーナさん意外と大胆ですね……!?」

 う……うぅわぁ……わかった……と。
 戻ってきたばかりの日のような、照れ顔をしていたマァリである。

お洒落な本を作るのが夢です* いただいたサポートは製作費に回させていただきます**