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いつかあなたと花降る谷で 第1話(5)

 腕まで冷え切る直前に、集め終わった二人である。
 ストーブに集めた枝を入れ、火をつけた。円柱状の小さな燃焼用のストーブだけど、持ち運びも簡単だし二人用の湯を沸かすのに丁度良い。小さな鍋で上流の水を汲み、火が灯るストーブの上に鍋をかけたフィーナである。
 重ねたコップの中に、茶葉を入れた茶漉しを入れて、そのあまりに合理的な方法に、見ていたマァリも「上手い」と思う。上品な淹れ方の紅茶も飲んだことのある彼だけど、生憎、それらの味の違いは分からない舌を持つ。
 椅子にする石に座った二人は、水が温まるのを待っていた。

「ねぇ、マァリ」
「何?」
「昨日は私の話をたくさん聞いてくれたでしょ。だから今日はマァリの話を聞きたいな、って」
「俺の話? いや、別に……元の仕事に戻って、引き継ぎをしてきただけだしな」
「へぇ、どんなお仕事だったの?」
「あまり楽しくない仕事」

 きっちり作り笑いをして見えたので、口を噤んだフィーナだった。
 そうなんだ……とは返したけれど、悪いことをしたかもしれない、と。この時のマァリの顔はそういう類のもので、彼女は率直に話を変えることにした。

「そういえば、お父さんやお母さんは?」
「フィーナと同じ。亡くなったって聞いてるよ」

 言葉に「距離」があったので、不思議な顔をしたフィーナである。

「気づいたら国の施設でさ、実は会ったことがないんだよね。ただそれだけ。俺が生まれた国は、もうずっと戦争してるから。育てられなくなった子供とか、国が引き取ってくれるんだ」
「え……えぇ……えぇぇぇぇ」

 まずいことを聞いてしまった、と、狼狽えたフィーナを笑ったマァリだ。

「周りもみんなそんな風だし、あんまり気にしたことはないよ。戦力のために育てられるから、変な奴に買われたりもしないしね」

 変な奴? と引っ掛かったようなフィーナの顔を見て、口を滑らせたと思ったマァリである。都には色々とおかしな人間がいるんだよ、と、深掘りさせないようにして、さらっと流す。
 頷いたフィーナは「じゃあマァリは軍人さんなのね」と。
 軍人さん、というには少々、血で汚れすぎたような気もするが、そういう世相であるので、気にしても仕方ないことかもしれない。フィーナは軽い軍人さん、と、思っているようなので、そういうことにしておこう、と秘密が増えたマァリである。
 小鍋から湯気が立ち、フィーナはコップの茶漉しにお湯を通した。もう片方のコップに茶漉しを移したら、そちらにも同じように湯を通す。

「どうぞ」
「ありがとう」
「これ、少しばかりだけど朝食ね」

 ありがとう、と返したマァリは、タマゴサンドを受け取った。

「この卵で最後だったから、帰りにミオーネのところにも寄りたいの。もしマァリのやりたいことがあるのなら、先に帰っても良いからね?」
「ミオーネ……さんは、ハルピュイアだったけ?」
「そう、そう。でもお父さんは人間だったから、ほとんど人間の姿をしてるのよ」
「確か、木こりの迷い人を待っているんだったよね?」
「マァリ、よく覚えていたわね……! そうなの、人間のボーイフレンドが欲しい、というのが口癖なのよ」

 こんなに山の深い場所には、滅多に人間は来ないんだけどね、と。それでもハルピュイアのミオーネは、父親と同じ人間に恋をする予定らしいのだ。
 マァリの頭の中には、派手なミオーネの姿が浮かぶ。赤毛にヘアバンドを巻いて、柄物に柄物を重ねた姿だ。正直、あれほどインパクトの強い女性を「忘れろ」という方が、難題だろうと思うのだ。
 それでも、その人に対する好感度は低くない。
 幻獣族の感性は人とは異なって、人間が好き、なミオーネだけど、マァリは振られ済みなのだ。マァリだって筋肉はあるけれど、ミオーネの望むものには及ばないらしい。重量級じゃないから嫌、と、初対面に近いあたりで振られている。
 吹き出しそうになった過去のマァリだ。ひょろひょろですまん、という、人生初の台詞を吐いた。

「他に寄りたいところはある?」

 気持ちが上向いたらしいマァリである。
 この微笑みは自然なやつだ、と、即座にフィーナは理解した。機嫌が良くなったようなので、密花(みつばな)取りにも付き合ってもらおうか、と。

「それじゃあお言葉に甘えて、密花も集めていっていい?」
「ジャムになるんだったっけ」
「そう! 酸っぱくて美味しいの!」

 お肉料理のソースにも、使うと美味しいのよ、なんて。
 マァリは食事につられなくても、フィーナのことが好きだから、喜んでお供をするが、フィーナの解釈は別である。
 いいよ、と聞いたフィーナもやる気を出したらしい。密花は水菜より小さいから、集めるのが少し大変なのだ。
 タマゴサンドを押し込んで、お茶も飲み込んだ彼女は立ち上がり、ミオーネへのお土産ぶんを取ってくる、と、もう一度水菜の群生地へと歩いていく。

「手伝うよ」
「大丈夫。あ、それじゃあマァリはそっちを片付けて」

 了解、と返したマァリも紅茶を飲み込んで、二人分のコップを濯ぎ、鍋に残ったお湯でストーブの火を消火した。沢で鍋を冷ましたら、冷たい水を汲み、もう一度ストーブの上からかけてストーブを冷ましていく。
 濡れた炭は石の間に捨てて、万が一にも他に燃え移らないよう。冷めたストーブも沢で濯いで、灰を取ってしまうのだ。
 フィーナがミオーネの分の水菜を集める頃、風の魔法でストーブと鍋とコップを乾かしていたマァリである。フィーナは水菜を水菜で縛った束を、持ってきた籠へ入れていく。ストーブも鍋もコップも入れて、出発の準備が整った。
 さりげなく籠を持ったマァリは、左手を彼女へ差し出した。

「ん?」
「冷たくなったでしょ? 片方ずつ温めてあげるよ」

 と。
 マァリの下心など知らない顔で、フィーナは「え、でも」と遠慮した。
 いいから、ほら、と手を取るマァリは「やっぱり冷たくなってる」と。

「大丈夫? 冷たくない?」
「平気。俺の手、むしろ、熱いくらいでしょ?」

 確かに……なんてまじまじと見る、少女のつむじを眺めた彼である。

「こっちが温まったら、次は反対側を歩いて、そっちを繋ごうね」
「ありがとう。暖かくて助かるわ」

 本当よ? と。
 見上げた顔は、マァリの好きな陽だまりだ。
 渓谷の沢を離れた二人は、そのまま山へ入っていった。
 山道など無い山だけど、幻獣族の散歩の跡か、それらしい獣道が出来ている。フィーナは勝手知ったる庭で、ミオーネの家へと歩き始めた。

 春の山は湿度も上がり、若葉や花で賑やかだ。

 きらきらと輝くフィーナの金髪は、光の妖精の血も混ざっているからだと聞いている。大婆様が光の妖精だったらしい。夜の妖精くらい珍しく、あの家に住んでいた大爺様が、一目惚れをして、家に連れてきたそうである。
 大婆様はどの種族にも好まれて追われたようで、悲しくなって、へとへとになって、隠れて泣いていたらしいのだ。匿って休ませてあげて欲しい、と、大地の精霊が伝えにきたらしく、匿って休ませてあげる間に二人はいい仲になったのだ。
 まるでお伽話のようだ、と思ったマァリである。フィーナが嬉しそうに話すので、甘い話だが最後まで聞いたのだ。フィーナの大爺様の気持ちは「分からなくもない」と思った彼である。自分も「陽だまり」を抱いて寝たい、と、何気なく思ったことが始まりだ。
 途中で繋ぐ手を交換し、小さな手を「可愛い……」と握りなおしたマァリである。人間の子供のように純粋に、フィーナはマァリの大きな手のひらを、精一杯握ってこようとしていた。
 周りきらない指ごと温めながら、時々、指を絡めるように繋ぎ方を変えていく。フィーナは何とも思わないようであり、マァリの意のままにされていた。
 小さな小川を越えて、背の高い雑草が一面を覆う広場に出ると、フィーナはズボンのポケットからよく響く鐘を取り出した。
 等間隔で三回鳴らすと、目の前の雑草がぐにゃりと歪む。
 歪んだ先には小道が見えていて、フィーナを先頭にマァリが追いかけた。繋いだ手は自然と解かれてしまったが、ミオーネに会うので誤解されないためには良いだろう。
 誤解されても良いけれど、と、思うマァリの前を行く、フィーナは明るい声で「ミオーネ!」と彼女を呼んだ。

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