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いつかあなたと花降る谷で 第1話(3)

 玄関ドアを潜ると、ぱっと広がる空間だ。
 リビングとして使われている、一番広い部屋である。食事用のテーブルと椅子、奥の壁にはソファーと照明。中へ進んで振り向けば、広めの窓があり、窓際には観葉植物が置いてある。
 窓の外にはマァリが勇気を持って飛び込んだ、タタンの丘から「見えない」フィーナの庭がある。庭には上の丘と同じ花々が咲き乱れ、小さな畑があって、全てが懐かしい風景だ。
 フィーナに「座っていて」と言われたマァリは、彼女がお茶を入れてくれるうち、あちこち見回して、何も変わっていない、懐かしい、と過去を思った。リビングの奥にはキッチンへ向かう穴と、奥の部屋へ通じる穴がある。
 硬い岩をくり抜いて作られた家だから、きっちりとした四隅というより、丸みのある部屋たちだ。それがまた暖かさを感じさせるようであり、尖ってしまったマァリの神経を、じわじわと緩和してくれる。
 緊張が解けたおかげで、肩の荷物を椅子に降ろした。
 今回、マァリはフィーナが良いと言うまでは、ここで世話になろうと思って必要なものを持ってきた。わざわざ竜族の土地まで昇って、収納袋まで買ってきた。羨ましがられぬよう、ぼろ布を上からかぶせ、自分が纏う衣類も同じ、ぼろ布を敢えて選んだ。
 思った通りフィーナはマァリの身形(みなり)など気にならないようで、そうした些細なことにも喜びを見出していた彼である。ここに来るまでは見つかってはいけなかったけど、ここに来てからなら自由に振る舞える。
 過去にはどうしても威厳が必要だったから、それなりに小難しい服も纏ったけれど、シンプルなズボンと上着が好きなので、そうしたものばかりを詰めてきた。
 フィーナが入れてくれるお茶を飲んだなら、部屋を借りてそこで着替えてしまおう、と。髪色を隠すための布切れを鞄にしまい、長い前髪をクリップで頭のてっぺんに留めていく。フィーナほどでないにしろ長めの後髪も、布の中で崩れていたからもう一度留め直す。
 四角い骨格と上背が無かったら、花町の女性と思われるような出で立ちだ。端正だけれど中性的なパーツのせいである。これのおかげでマァリは大層、人族に人気があった。女性にも男性にもモテたのだ。
 何もせずとも綺麗、というのは、マァリの特殊な劣等感だ。何処へ行っても羨ましがられたけれど、中身で評価して欲しかった。努力をしても、戦果を上げても、全てが「見た目」で評価される。人族がこれほどまでに愚かとは思いたくなくて、若い頃は鬱屈し、敢えて前線に向かうという、遠回しな自傷行為にも走ったけれど、それなりに歳を取れば「武器」として使う術を覚え、同僚の嫌味にも動じぬようになっていた。
 お付き合いをしたいと語る女性も後を絶たないが、傷付けぬよう自分を下げて、上手く断れるようにもなっていた。城に用意されている自分の寝室は、自国か敵国の間諜として働く女が潜むため、一度も使ったことがない。
 物置や屋根、見張り台などの縁(へり)。
 どこでも寝ていたから、どこでも寝られるようになった。
 そもそも自分の血に混ざったもので、それほど睡眠も必要ない。
 丘の上で襲撃されて、フィーナに世話になり、人の社会にケリをつけ、戻ろうとした道すがら。そこで知った「血」を想い、合点がいった彼だった。
 それすら今ではどうでも良いが、全てが自分の人生だ。
 二人分のお茶をもち、焼き菓子を皿に乗せた後、にっこり笑うフィーナがいるので、マァリはそちらに意識を向けた。穏やかな妖精族の女性と二人、ここで静かに幸せに、暮らしていくことの方が大切だ。

「苺のジャムクッキーとフルーツケーキまで入っていたのね。奮発してくれてありがとう! 久しぶりに食べるから嬉しいわ」

 きらきらとした笑顔でフィーナはコップに紅茶を注ぎ、先にマァリにそれを渡すと自分の分を入れていく。
 リビングのテーブルに、向かい合って座った二人。食事の挨拶を済ませると、再会の時間(とき)を楽しんでいく。

「わぁ、美味しい! 王都のお菓子屋さんの?」

 はしゃいだ声でフィーナが問えば、「そうだよ。まだそれほどは有名じゃないけれど、きっと有名になると思うよ。一度食べて気に入ったんだ。フィーナも気に入ると思って」と。
 随分甘いことを言うが、彼女にしか使わない台詞である。
 と、いうより、女性にお土産を渡すのが、実は初めてのことである。
 人族の女性には嫌われたかった彼だから、このような態度には一度も出たことが無いのである。
 ケチな男だと詰(なじ)られそうだが、生憎、彼が纏う肉には、文化的な事柄において女性に失礼を働けど、一切、誰にも気にされず好感度も下がらないという、恐ろしい倍化作用が付いた美顔が乗っていた。
 贈ってもいないのに贈られる現象が続く中、フィーナに出会い、漸く彼も、全く興味のない分野へと興味を持つことになる。
 けれど、あからさまに態度に出せば煩くなるのは目に見える。最も近く、誰より信じた、戦友でもある親友に、裏切られた事実もあるので二度目は誰も信じなかった。
 親友を嵌めた後、懲罰を受けさせて、より「固い」態度になったマァリを案ずる者もいたが、彼はそんな部下達の目すら盗むように仕事をし、ひっそりと着実に男性が女性に向ける態度、土産物、プレゼント、台詞までもを習得していた。
 冷たい顔の内側で、いつかフィーナに披露しようと、本気で勉強を重ねていって、女性の好みを習得していく。女だ……と警戒していた過去のマァリは、いつまで経っても陽だまりのままのフィーナに心を奪われた。
 可愛いけれど子供だし。一人暮らしだなんて心配するし。
 親がいなくても親戚、と、想像していたマァリには、妖精族の「一生」がまるで理解できていなかった。
 あと何年、彼女を待てば、大人になるのだろう。
 無意識に考えて、考えていることに気づいた時に、自分の変化に抗えなくて水をかぶった彼である。冷静になれ、冷静になれ、と、一晩頭を冷やし、次の日の夕食で自然を装い聞いてみた。
 幾つ? と問われた彼女は、マァリより上の年齢を口にした。
 動揺したし困惑したし、どういうこと? とも聞いていた。どういうことも何もなく、生まれてからそれだけの年月が過ぎ去っただけである。タネも仕掛けも何もない、ただの事実なのである。
 これから先、何年経っても、これがフィーナの「大人の姿」だ。もう成長しないのだ、と、人族の感覚で彼は思った。
 自分は決して「子供が好き」という偏愛性を所持する訳ではない、と。一緒に暮らしましょう、と誘われたマァリは必死に思う。
 そうだ。
 だって昨日の晩に、あと何年待てば良いのだろう、と。自分は思った筈であり、だからこそ意識した訳なのだ。
 子供が好きな訳じゃない。
 フィーナが好き……だと思うのだ。
 また一晩、寝ずに考えた彼は、自分の方の問題を片付けよう、と。
 決意を固めたようで、一度離れることにした。

 全てを片付けて戻れるように。
 妖精族の女性と、出来るだけ長く居られるように。

 幸せな方法かと問われると、もしかしたら「違う」のかもしれない。
 けれどマァリは戻る間に、最適解を手に入れた。
 フルーツケーキも「美味しい!」と、笑顔で食べてくれるフィーナである。改めて自分が「彼女を好き」でいることを、認識した彼は正面で、そっと微笑を浮かべて返す。

「気に入ってくれて良かった。残りは全部食べていいからね」
「そんなことを言わずに、一緒に食べましょうよ。残りは明日と明後日のおやつにするわね」

 と。
 喜びを彼にも分け与えようとするフィーナの姿勢が、やっぱりマァリには眩しくて愛おしい。
 人間の女は欲張りだ。
 だけど、もしフィーナが「全部欲しい」と言うのなら、自分は全てを差し出して、それでいて幸せなのだろう、と。
 想像できたから、やっぱりマァリはフィーナへと、向けてはいけないかもしれない恋をしている、と理解する。
 届かなくても良いんだ、と、マァリは謙虚に微笑した。
 こうしてひっそりと、二人暮らしを楽しめる。それがどれだけ幸福なことで、特別なことなのか。辛い社会を知っているから、マァリは柔らかく微笑んだ。
 ここはとっても穏やかで、暖かな場所である。
 フィーナだけではなくマァリの方も、いつか来るかもしれない「別れ」を押しやって、楽しさを見出した顔をした。
 ミントが入った紅茶は爽やかだ。
 食べ終えた二人は食器をキッチンに運び入れ、空いていた部屋の一つを借りることしたマァリである。暫く使われていなかった布団を外へ運んで、天日干しをしながら虫殺しの魔法をかける。最後に風の魔法でふんわり仕上げたら、フィーナの方の布団も同じように仕上げた二人だ。
 今晩はふわふわね、と、喜ぶフィーナの顔を見て、夕食の準備の手伝いと、男手が必要な箇所の有無を問う。

「そんなに張り切らなくても大丈夫だと思うわよ。気づいたらお願いするし……そうだなぁ。じゃあ、明日は朝早いけど、一緒に沢まで降りてくれる?」

 沢、とは、この渓谷の中段にある「張り出し」を流れている川である。そこから一番底へ、滝として落ちていくものだ。

「水菜を取りたいの。冷たいんだけど、朝の方が甘いから」

 水菜とは、この世界において、水の中に生える食用の草の総称だ。過去、マァリが世話になっていた間、フィーナの手料理として高頻度で食べさせて貰ったものである。

「手伝えるなら、もちろん」

 と、彼は即答をしてみせて。
 賑やかに食べられる夕食を、それぞれ楽しんだ二人である。

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