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いつかあなたと花降る谷で 第1話(10)

 そうと決まればポッサンは、家の中を整える必要があり、その間に二人には散歩に出るように促した。
 フィーナのためにマーメーナが使っていた部屋を開け、窓を開いて換気をし、布団を外に干しに出る。人間のマァリのためには川魚を採りに行く。
 昼間はパンとスープを出して、夜は魚と山菜にした。彼は料理も得意であるのでこのくらいはお手のものだが、マァリの口に合うだろうかと、僅かに緊張したようだ。
 人間の友人は初めてだから、ポッサンも彼に好かれたい気持ちがある。もしマァリがフィーナと良い仲になったなら、それなりに長い付き合いになるだろうと思うから。
 妻が亡くなって寂しいけれど、山の住人はそのままだ。
 情報屋のミオーネは定期的に遊びに来てくれて、ポッサンに外の様々なことを教えてくれる。フィーナもこの通り。他の友人も相変わらずだ。
 亡霊になったマーメーナがポッサンを呼びに来るまでは、静かになった家の中で読書をするのも楽しみだった。毎年この時期は夏の花のため、庭いじりをして過ごすのが慣例だ。そうして夜は読書をし、一人の時間を楽しんでいく。
 妻に会いたくなったなら、墓参りに行けばいい。庭に咲く花を少しずつ切って、彼女が残したリボンをかける。パンや焼き菓子を供えていけば、動物達がきてくれる。そうすれば自分がいない間も、彼女は寂しくないはずだ。
 そう思えば自分も「寂しくない」ので、これが互いの良い距離だとポッサンは考えていた。あの日、彼女が、墓場から戻ってくるまでは。
 正直、どうしてなのか彼にもわからない。
 何か言いたいことがあるのだろうか。それならば墓に入ってすぐに現れたはずである。
 三年も経ってから、どうして戻ってきたのだろう。
 それも夜ばかりなのが気になった。まるで自分を怖がらせるためだけに、現れているようなものである。原因がわかるなら助かるけれど、果たしてマァリに解決できるのだろうかと。
 解決できなくても責めるつもりは彼にはない。
 原因さえわかるなら、自分で対処すれば良いだけだ。
 群れで生活するタイプの幻獣族以外なら、そもそも「個体」、自立した考え方をする種族である。その土地に耐えられないのなら、他の住み良い土地に移る。
 ポッサンも亡霊に耐えられなくなったなら、引っ越すという選択を持っていた。ただ、それが自分の妻だったから、引っ越すのにも悩んでいたところである。
 じわじわと精神を削り取られていたけれど、逃げ出す前にフィーナ達が来てくれた。新しい友人のため、と、思って決めたことだけど、久しぶりに誰かのために体を動かして、冷静になって考えたなら良いタイミングだったと思うのだ。
 二人と一緒なら、しっかり確認できるかもしれない。
 夕食の準備を終えてから、彼は一旦、寝室に入った。二人へ、好きにして良いからね、とキッチンを貸し出して、昼寝をすることにしたのである。
 亡霊が現れてから、夜もろくに眠れないので、昼寝をするようになっていた。家の中に生きている誰かの気配を感じると、いつもより安心して眠れる気もしたのである。
 寝入ったポッサンを起こさないよう、二人は彼の家のリビングで、彼の本棚の本を借り過ごすことにしたようだ。何せサイクロプスの住人の家。天井は高く、一つ一つの部屋も大きい。彼の趣味は読書のようなので、本ばかりの部屋があり、上から下までぎっしりだったのだ。
 奥さんのマーメーナはドワーフなので、どちらかというとフィーナのような小柄なたちだから、どの部屋にも二人の身長差を埋めるような、踏み台や椅子が置いてある。
 女性が好みそうな本は下の方にあるけれど、マァリが興味を持ったのは上の方にある本だ。踏み台をありがたく拝借し、ひと抱えありそうな巨大な本を引き抜いた。

「マァリが持つと凄く大きく見える」
「俺も小人になった気分だ。きっとポッサンが持ったら、普通のサイズなんだよね」

 そうね、そうなるわね、と、フィーナは自分が借りる本を見た。
 マァリは重そうな本をふらつくことなく抱えて降りて、これまた大きな机を借りて読み始めるようだった。踏み台を拝借したまま、立って読む。座ったら? とフィーナが言っても、この方が楽だから、と。
 柔らかい顔から凛とした横顔になり、フィーナはそんなマァリを見ると、自分も手元の本を開いた。マーメーナは夢見がちな母親の影響で、海に住んでいるマーメイドから名前を捩(もじ)り、自分の名前として付けられたと言っていた。夢見がちなところを受け継いだのを自負しているらしく、男女の恋愛小説を読むのが趣味だとも聞いていた。
 生きている時はついぞお世話になることはなかったが、故人を偲ぶ感覚でそれを手に取った彼女である。飾り文字で装飾された恋愛小説は、導入部分からフィーナの頭を混乱させてしまったが、なるほど、読み進めるほどに女性の機微がわかるようで、勉強になるような気がしたのである。
 フィーナは誰かに虐げられた記憶はないし、辛すぎる妖精生もなかったが、自分では変えられない運命を背負った時に、手を差し伸べてくれる誰かがいたら、そりゃあ惚れると思うのだ。
 そして、きっとそんな女性に手を差し伸べてくれる男性の理想像とは、物語に書かれるように、何もかも持っている男性、なのだろう。それが一番楽だから。自分はご飯を作ったり、家のことなどをして貢献するだけで済むからだ。子供を作ったら喜ばれるという、描写を見てもよくわかる。
 正直、フィーナにはそういうのはよく分からない。機微の勉強と、女性の理想が分かるだけ。お金持ちの男性だったらメイドを雇えるし、自分がすることはさらに減る。好きな服を着て着飾って、大切にされるだけの生涯だ。
 なるほど、楽になるのが一番の理想か、と。読み終えて妙な感想を持った彼女である。
 2冊目を読み、3冊目を読み、ルートは異なるけれど、どれも中身は一緒であるのが見てとれた。なるほど。そうなのか。ものによっては相手の男性の身代わりになって怪我をしたり、利権を叫んだり、まぁ、確かに役に立つような描写も見える。
 けれどフィーナには、やっぱりよく分からなかった。
 きっと自分が恵まれすぎたせいなのだろう、と思い直し、凛とした横顔のまま読み進めているマァリの事を、ふと、見上げてみたりした。

「どうしたの? フィーナ」

 マァリは気配を察したようで、巨大な本に視線を落としたまま、フィーナに問いかける。

「え? あ、ううん、なんでもないの。マァリの読んでいる本は面白いのかな? って」

 そう? と返したマァリは、「勉強になるよ」と。

「どんな内容?」
「幻獣族のことが書いてある」
「妖精のことも書いてある?」

 いくつかページを捲った彼である。

「あるね」
「どんな風?」
「いろんな妖精がいるよ、って書いてある」

 フィーナのことは……と、マァリは彼女へ視線を向けて。

「人間の国の本を、いくつか読んで勉強してきたよ」

 と。

「そうなの?」
「うん。フィーナのこと、知りたかったから」
「本を読むより直接聞けば早いのに」
「はははっ。本当だね。今度からそうすることにする」

 うん、その方が早いわよ、と彼女は返す。

「マァリはさ、人間の国に恋人とかいなかった?」
「え。急にどうしたの?」
「そういう本を読んだから、聞いてみたくなっただけ」

 あぁ……と、フィーナの手の中に視線を落としたマァリだった。

「いなかったよ。一度もね。恋人を作っている暇もなかったし」
「忙しかったのね」
「まぁ。そうだね。忙しかった」

 身の潔白を印象付けるよう、言葉を選んだ彼だけど、フィーナにはいまいち伝わらなかったようである。

「マァリは恋人ができたら、全力で守ってあげたい方?」
「え」

 少しだけ固まった彼だけど、きっとそれも読んでいた本の影響だろう、と予想を立てた。

「そりゃあ守ってあげたいんじゃない? そんな状況になるか分からないけど。というか、他の男を近づけたくないって思う方かな? 俺は結構そっちの方を頑張ってしまう方だと思う」

 盗られたくないしさ、と、努めて軽く語った彼である。
 へぇ、と返したフィーナの顔は、感情が揺れた素振りがない。

「フィーナはどう? 恋人とか、いたことある?」

 聞かれたから聞き返すのは、おかしい流れじゃないよな、と。それでも過分に緊張を孕んだような質問だった。
 フィーナはきょとんとしたようで、見慣れた反応だけが返る。

「いたこと、ないわ。考えたこともなかったわ」
「そうなの?」
「そう。男友達はいるんだけれど、彼は人間の女性の方が好みらしいから」

 ぴく、と反応したマァリだけれど、後半の話にそそられた。

「人間の女性の方が好みって、どういうこと?」
「そのままの意味よ。いつも人間の女性の恋人を欲してる」

 そんな妖精がいるのか、と、瞬いた彼である。

「フィーナはその彼と、良い雰囲気になったことはないの?」

 踏み込んだことを口にしてしまうけど、フィーナはきょとんとしたままだ。どうして? という視線の色が、全てを語っているような気がした彼だ。
 ふぅん、と流してから、その友達は変わっているのかな、と。

「オーナのこと?」

 不意に部屋に入ってきたポッサンだ。

「そう。年が近い男友達は、オーナしかいないから」
「ライオネットを忘れないであげて」

 苦笑しながらポッサンが言うので、別の男の気配に反応を示したマァリである。誰? という視線でフィーナを見ると、「あ。そうか。そうだった」と、やや安心できる反応だ。
 誰? という視線を次にポッサンに向けたとき、ポッサンはマァリに穏やかに教えてくれる。

「レプラコーンだよ。後でそれで見るといい。開いたままで構わないから。そろそろ夕食を食べようか」

 興味を持ったマァリを制し、まずは夕食を食べよう、と。
 他の男の気配を知って、動く心理を読み取ると、若さや健気さを感じるようで、懐かしくなったポッサンだ。自分にもそんな時代があったと思い出されるようであり、控えめながら手を打つマァリと、気づかないフィーナを見遣り、先が楽しみなカップルだ、と優しく思う。
 キッチンに立って、二人をリビングで持て成して、昼に続いて賑やかな夕食を楽しんだポッサンだ。しっかり眠って気力もあるし、冷静になると怖さも薄らいだ。
 大体、亡霊が現れる時間をマァリに教えると、了解した彼は食後すぐ、早めに庭に潜む、と語る。まだ春なので陽が落ちるのが早く、もう外は真っ暗なので都合がいい、と言うのである。
 そんなに張り切らずとも、まずは家の中から確認するのでも良いのでは? と。案じたポッサンが気を取り直し、マァリに伝えたが、外で張り込みをしたい、と、彼は譲らなかったのだ。
 目を見合わせた妖精とサイクロプスは、人間は真面目だね、とアイコンタクトをしたようだ。そんなに真面目じゃない、フィーナとポッサンのためだから。やや苦笑を思ったものの、黙っていたマァリである。
 二人は寝ていていいからね、と、伝えて外に出る。
 隠れる場所は屋根の裏にした。昼間にフィーナと散歩に出た時、遠目で身を潜める場所を探っておいたから。そこなら見つからない筈だ、と、マァリは潜んで気配を消した。
 春の夜空も綺麗なもので、山の音も心地良い。
 慣れた様子で仮眠をとりつつ、亡霊が現れる時間を待った。
 今日は来ないだろうか、と心配になった頃、一つの気配が家のそばに現れた。マァリは息を殺して屋根から這い出すと、亡霊が家の窓を叩く様子を上から見遣る。
 トントン、ドンドン、と。
 家の中でポッサンが、動いた気配が漂った。
 恐らく亡霊も、それを確認したのだろう。警戒心が薄れたようで、今晩も、ポッサンを脅す方に意識が傾いたようである。

 屋根の上から一気に亡霊を、抑え込んだ彼だった。

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