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いつかあなたと花降る谷で 第3話(5)

 タタンの丘の上までくると、目眩しの魔法のおかげで、フィーナの庭はいつも通り隠されていた。
 足が竦みそうな深い深い渓谷の底、生まれつき翅を持つ自分達には恐れるものはないけれど、翅を持たない人たちには、さぞ恐ろしい景色だろうと思う。実際の谷底は綺麗なもので、清流が走る静かな場所だ。
 羽を手に入れたマァリを誘って、そのうち散歩に行こうか、と。二人で行ける範囲が広がり、それに気づいて嬉しくなった。フィーナは微笑みながら自分の庭に降りていく。
 花翅を駆って降りてくる、小さな妖精に気づいたマァリだ。
 思ったよりも早い帰宅でそんなものかと思ったけれど、途中まで組んだ釜から離れ「おかえり」と迎えに行った。

「ただいま」
「楽しかった?」
「楽しかったわ。これ、お土産ね」

 手に持った籠を上げてみて、中に入っているわよ、と伝える。

「じゃあ休憩しようかな」
「お茶入れるね?」
「大丈夫だよ。自分で出来る」

 フィーナもやりたいことがあるでしょう? と。マァリはあっさり提案を断った。
 確かにシャンドラの池に着いてから、今までずっとお茶とお菓子を取っている。お腹はいっぱいだし、また席に着くのも無駄な気がした。
 でも、そうじゃない気も一瞬したのだ。一緒に同じ時間を……頭を掠めた気持ちを振って、わかったわ、と彼女は頷いた。

「フィーナ」
「ん?」
「もし時間があるなら、一緒に休憩する?」

 ぱっと顔が華やいで、マァリは胸を撫で下ろしたようだ。
 フィーナの一瞬の無言を読んで、彼は発言を間違えた、と考えたから。離れてしまいそうになった彼女の無意識を、しっかり彼は捕まえた。
 作業をしていて汚れた手を家の中に持ち込む前に、外で清める判断をしたマァリである。断崖を掘って作ったフィーナの家のキッチン側、外の固い石壁に、別の水路から引いてきた手洗い場が備えてあった。何百年と使い続けた割に、綺麗なままの石の桶。そこから下へ流れる水に、手を差して汚れを落とす。
 朝から作り続けた釜は、丁度、形が見えたところだ。フィーナが使う時、雨が振っても困らないよう、枝葉の多い木の下に拵えた。手洗い場から眺めても良い出来なような気がして、一人で誇らしく思った彼だ。
 仕事だからと仕方なく、人を殺めたり怪我をさせたりしたが、そういうことをしなくても生きていける幸せを思う。俺はやっとこちら側にこれたんだな、と、感慨深くも思ったようだ。
 服の汚れを払いつつ、玄関を通りリビングへ。もう少し作業をしたいから、着替えずに入っていった。机の上には彼女が貰ってきたらしい、様々な形の菓子がある。マァリが席に着こうとしたときに、二人分のお茶も入ったようだ。

「凄いね。これ、皆が?」
「そう。お互いに作り合いっこするの。シャンドラからは川魚よ。今日の夕飯に使う予定」
「シャンドラ?」
「あ。そうよね。シャンドラだけは会ったことがないわよね」

 ポッサンの家の方角から、少し北へ向かったところの、池に住んでいるマーメードよ、と。

「マーメード……」

 それは随分、幻獣族らしい幻獣族だな、と。

「こんな山にも住んでいるんだ?」
「そう。ただ、シャンドラの場合はね? 塩水じゃ生きられないタイプなの」
「塩水じゃ生きられない?」
「好みなのかな? その辺のところは私もよくは知らないけれど、主に湖に住んでいる人魚族って感じかな」

 へぇ、と返して、頭の中で、そういう種類も居るのか、と。ポッサンの家にあった幻獣族についての本を、また読ませてもらおうと考えた彼だった。
 机の上に乗った甘味を、説明を聞きながら味わっていく。これはミオーネが作ったお菓子、これはチャールカが持ってきてくれた、ポッサンが作ったお菓子よ、と。
 決まった仕事のない幻獣族だからなのだろう。どちらも凝ったお菓子に見えて、すごいな、と感じた彼だった。人間でいうとミオーネのような派手で軽い印象の女性だと、家事が苦手そうなイメージがあったから。思い込みは良くない、と自分を律した彼でもある。
 ポッサンの方は流石というか、理想的に歳をとった男性が作った印象だ。働き者で寛容で器が大きい人柄の中に、器用さや思いやりが溢れている。しかも料理のみならず菓子作りまでこなすのだから、頭が上がらないというか、尊敬しかないやつだ。
 少し、チャールカの姿を思って無言になった彼だけど、フィーナの態度がいつも通り変わらないので、余計なことは話していないと踏んでいく。
 女同士で何を話すか聞いてしまうのは悪いか、と。触れないようにしていたけれど、フィーナは自然と話してくれた。
 曰く、ラーマが来たみたい。ミオーネとシャンドラは、今まで通りお相手を探し中。チャールカはポッサンにくっついて過ごしているみたい。お菓子も彼のものを一番に食べていたわ、など。

「ラーマ?」
「たまにシャンドラのもとを訪れる、ユニコーンの男の子よ。オーナみたいに人間の女の子を狙っているんですって」
「どうして?」
「小さい頃に撫でられたのが忘れられないみたい。確かにユニコーン同士じゃ、撫であったりはできないもの。でもね、私、思ったの。それならシャンドラに撫でて貰えばいいのにな、って」

 確かにマーメードなら、上は人間の姿に近く、腕もあるから馬の頭を撫でてやることができるだろう。でも、そうしないということは、それだけの距離が二人の間にある訳だ。

「友達ってことかな? 二人の関係は」
「そうね。振られると戻ってくる、って言ってたわ。オーナも同じなの。振られるとここに戻ってくるのよ」

 何気なく呟いたフィーナのセリフを拾い、ぴくりと反応をしたマァリだった。前々からフィーナと同じ妖精族の彼の名を、聞いていたからその行動に警戒心が灯ったようだ。

「何で戻るの?」
「さぁ? 慰めて欲しいんじゃないかな? だけど私が何をしなくても、勝手に元気になっちゃうのよ。だから気にかけたことがないんだけどね。あ、マァリが居る時に来たら、ごめんなさいね? 気まずいかもしれないけど、一部屋だけ貸してあげてくれる?」

 好きな子の家に居候している分際で、否やを言える筈もなく。マァリは少しだけ気持ちを引っ掛けながら、もちろんだよ、としか言えずに作り笑いを浮かべていく。
 よかった、と帰ってきた可愛い微笑みに、ずるいなぁ、と苦笑する気持ちになったけど。ひとまず、オーナの好みが「人間の女性」という設定を、信じることにして飲み込んだ彼だった。

「後は……そうだった! マァリがワイバーンに乗っているとこ、ミオーネに見られていたらしいわよ」
「そうなんだ?」
「うん。びっくりね。山の裏に行くまでも、歩きにくい森の中を、すいすい進んでいくから、凄いと思ったらしいわよ?」
「見てたの?」
「見えたらしいわ。彼女、すごく目が利くのよ」

 フィーナは何の気もなしにマァリへ語る。
 へぇ……と言いつつ、彼は警戒を強めたようで、気を抜いていたとはいえ、今後は気をつけないとな、と。ハルピュイアは脚力だけじゃなく、視力も効くのか、と。要警戒、と脳裏に刻み込んだようである。
 コップを持ちながら、やや黙った彼の目の前で、フィーナは大切なことを思い出した。

「マァリ、ちょっと待っててね?」
「うん?」

 視線を向けるより早く、立ち上がったフィーナは駆けていく。彼が、ひょい、と動かした体と視線の先の、物置へ向かったようだ。
 以前、少し見せてもらった彼女の家の物置は、ポッサンの書庫のように書物が大半だったと思う。大きな家具もあったけど、失礼だと思って見ていない。何を取りに行ったのだろう? と単純に待つ中に、フィーナは嬉しそうに何かを持って現れた。

「マァリ!」
「何?」
「好きなもの、あったらどうぞ!」

 彼の椅子の側まで来てから、ぱっとフィーナは持ち上げる。
 蓋のついたグラスタイプのガラスポットが彼の視界へと。中には色とりどりの石が入っているようだ。気のせいでなければ、星のように光る石もある。整えられた宝石のような、飴玉サイズの力の塊。
 差し出されたマァリの腰が、少しだけ引けていた。
 竜族の血が混ざった彼を、畏れさせるものである。

「フィーナ……これ……」
「街に連れて行ってくれたお礼よ」
「いや、それは前にさ……俺がお世話になったから……」
「うぅん。それ以上に、あなたは楽しませてくれたわ」

 と。
 一つしかあげられないけれど、好きなものを選んでよ、と。
 マァリは恐る恐るガラスポットを受け取って、指を入れ、中のものを机の上に並べ始めた。

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