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他人の後ろ

意識の高い考え方は、聞いている側も言っている側も気持ちが良いものだと思う。心からそれを思って信念としている人も多い。真っ直ぐで純粋な思いは、いつの時も素晴らしく、尊い。

大人になると、大きな理想というものは「一度でもその理想を叶えられた成功体験を持つ者」にしか響かなくなる。努力して走り続けても、手に入れたいものが手に入らない人間は存在する。努力すればするほど、どうにもならない、もともとのポテンシャルや環境に絶望することは少なくないだろう。そうして人は挫折を覚えて、妥協を学んでいく。

どうして諦めるんだろう
どうして動かないんだろう

どうして、の先に続く他人への疑問はいつも、自分だったらできることであって、それが自分じゃない人間にとってどれほど難しいことなのか想像することは難しい。想像力だけでは補えない、その人間の全てを包括しないままに相手を理解し、何かを求めることは、自分も相手も苦しめることになる。

それを理解した大人たちは、「一線を引く」という言葉を行動に重ねて便利に使いこなしている。

手を差し伸べることよりも突き放すことが必要な瞬間は、往々にして存在するからだ。中途半端に手を出すと怪我をする。怪我をするくらいのものには初めから触らない。そうやって、人は人と上手く付き合っている。

私たちはいつも、それなりに向き合っているのだ。
向き合った相手の後ろに何があるかは、誰にも分からないのだけれど。

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