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責務を全うせよ【超訳】自省録8日目

・今日の超訳

人の一生は短い。私の人生も終わりに近づいているのに、私は自分に対して、尊敬を払わず、自分が幸福と感じることをせず、人々が幸福と感じられるために、時間を使う。しかし、それが私の責務だ。自分に偽り、自分の魂に恥をかかせ続けてでも、責務を全うせよ。

・引用原文(第2巻6章より)

「せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう。私の魂よ。自分を大事にするときなどもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自己に対して、尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ」            岩波文庫 自省録 神谷美恵子訳第2巻6章

・ちょこっと解説

・自分の余命が幾何もないことを悟ったマルクス・アウレリウスの、自らに言い聞かせる金言。自省録の中でも、とくに有名な一節である。

・マルクスは、生も死も、善悪で測れるものではないと考えていた。そして、7日目の自省録中で指摘したように、宇宙の自然により生が生じ、宇宙の自然により死が生じるのであれば、生を悲しむことがないように、死は恐れるものでも、悲しむべきものでもない。

・この章の解釈は、小生にとって難しい。一般的には、短い人生の中で、自らの魂の望むもの(哲学の探求)を振り切って、皇帝として、最後まで帝国臣民のために尽くそうとするマルクスの決意の表れと解釈をされている。しかし、小生には「自分にはもう時間がないのだから、恥をかいてでも、自分以外の者の幸せのために働くのではなく、最後は自分(哲学)のために生きろ」と、自らに発破をかけているマルクスの苦悩が見て取れる気がするのである。まあ、いずれにせよストア哲学(自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学)を探求していた、マルクスにとっては、結局、皇帝としての運命を全うするという結論に至るのだろうが。

・上記で指摘した通り、マルクス・アウレリウスは最後まで皇帝としての職務を全うし、陣屋にて崩御した。皇帝なんて責務を投げ出して、哲学を探求したいという、心もあっただろう。しかし、マルクスは最後まで皇帝という責務を投げださず、栄光から転がり始めたローマ帝国を必死に支えようと、務めあげた。尊敬なんて言葉では足りない。なんという高貴で崇高な精神だろうか。

・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように「恥の文化」のなかで生きている日本人(近年その意識は薄れてきているように思われるが)。恥をかくぐらいなら切腹するという日本人の感性は、個人としては美しい散り方だと思うが、少なくとも立場ある人間は、マルクス・アウレリウスの如く、責任を持たなくてなならない。


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