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人間のつとめを果たせ【超訳】自省録10日目

・今日の超訳

人間のつとめを果たせ。休息はほどほどにとれ。自分を愛し、社会のために尽くせ。

・引用原文(第5巻1章より)

 明けがたに起きにくいときには、次の思いを念頭に用意しておくとよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ」自分がそのために生まれ、そのためにこの世に来た役目をしにいくのだ。まだぶつぶつ言っているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めるために創られたのか。「だってこのほうが心地よいもの。」では、君は心地よい思いをするために生まれたのか。いったい全体君は物事を受け身に経験するために生まれたのか、それとも行動するために生まれたのか。小さな草木や小鳥や蟻や蜜蜂までがおのがつとめにいそしみ、それぞれ自己の分を果して宇宙の秩序を形作っているのを見ないのか。
しかるに君は人間のつとめをするのがいやなのか。自然にかなった君の仕事を果すために馳せ参じないのか。「しかし休息もしなくてはならない。」それは私もそう思う、しかし自然はこのことにも限度をおいた。同様に食べたり飲んだりすることにも限度をおいた。ところが君はその限度を超え、適度に過ごすのだ。しかも行動においてはそうではなく、できるだけのことをしていない。
結局君は自分自身を愛していないのだ。もしそうでなかったならば君はきっと自己の(内なる)自然とその意思を愛しただろう。ほかの人は自分の技術を愛してこれに要する労力のために身をすりきらし、入浴も食事も忘れている。ところが君ときては、ひだ彫師が彫金を、舞踊家が舞踏を、守銭奴が金を、見栄坊がつまらぬ名声を貴ぶほどにも自分を大切にしていないのだ。右にいった人たちは熱中すると寝食を忘れて自分の仕事を捗らせようとする。しかるに君には社会公共に役立つ活動はこれよりも価値のないものに見え、これよりも熱心にやるに値しないもののように考えているのか。     岩波文庫 神谷美恵子訳 自省録より

・ちょこっと解説

・善なるマルクス・アウレリウスと怠惰なるマルクス・アウレリウスとが心の中で問答している。ドラえもんとのび太の掛け合いみたいである。しかし、怠惰なる側の気持ちは痛いほどわかる。

・これほどの覚悟を持って、目覚めることができたのならば、その日一日は、最高の一日になること間違いないだろう。

・一日一自省録。気が付けば10日目である。意外と続くものである。そして、記事を作るうえで、マルクス・アウレリウスの言葉と真剣に時間をかけて向き合っているためか、彼の言葉が、小生の血となり肉となり、ことあるごとに「ああ、マルクス・アウレリウスはこんなことを言っていたな」と、彼の言葉が頭をよぎるのである。これはいいことである。この調子で、アウトプット続けていきたい。


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