読書は「勉強」ではないんじゃないの?

うちの会社は毎日朝礼をする。

そのときに朝礼当番の人が「モチベーションの上がる話」をテーマにスピーチする。


スピーチの内容は千差万別。

聞いていて純粋に面白いな、と思う内容もあれば、退屈だな、と思う内容もある。


とまぁ、人のスピーチが面白いかはどうでも良くて、スピーチのネタとしてよく挙がるのが「本の紹介」。

こんな本読みました、この本は云々みたいな内容。


で、その取り上げられる本が、「小説」ではなく「ビジネス書」が9割を占めている。

…。

うーん…。


自分の中で「読書」って「ひとつの物語を楽しむもの」というものだった。

でも会社の人たちにとって「読書」とは、「学びになるもの」という位置づけらしい。

そして、みんなスピーチを聞いて、うんうんと頷いているところを見ると、大方は後者を「読書」と位置づけているように感じられる。


というか、「読書=タメになることをインプットしなきゃならない」っていう、ある種の洗脳にでも嵌っているようにすら見える。


確かに読書をすることで、学びを得るのは大切なことだ。

学を身に着けるのはやはり読書が起点になるだろうし、そこは別にいいのだ。


でも、一体いつから「読書=学び」になったんだ?

そしてなんでそれが当たり前のようになっているんだ?

「読書」は趣味、嗜好品のひとつだと捉えている自分からすると、ビジネス本ばかり読んでいる人が「読書した」といっても「それ勉強じゃん」ってなってしまう。

「読書」はもっと、頭を使わずに、そこにある物語を楽しむものなんじゃないの?って声を大にして言いたくなる。


ビジネス本を読む人を否定したいんじゃないんだ。

ただ、うちの会社の中では「読書=タメになることをインプットする」が蔓延していて、そしてそれをあたかも当然のことのようになっているのが嫌なのだ。

読書大好き人間からすると、ちょっと違うんじゃないの?と言いたくなってしまうのだ。

まぁ、本人が楽しければいいんだけど。


でも自分はやっぱり、ビジネス書を読むことは「読書」とは思えない。

参考書と一緒じゃん、って思う。それ勉強じゃんって。

そしてそういう意識高い系がすごいなーと思う。


読書して、そこにある物語に入り込んで、現実逃避しましょうや。

という、読書好きな人間の勝手な意見。

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