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不便を愉しむ

 30代のある時ふと考えた。
「これから人生、どう過ごそうか?」

 当時病院で働いていたこともあり、真っ先に考えたことは健康の事だった。やっぱりピンピンころりが一番いい。でもそのためには何が一番必要かと真剣に考えた。

 その結果、衣食住の健全化を図ることだと思い至った。中でも「食」は全ての要であり、食習慣の内容が健康寿命を左右する。いわゆるピンピンころりに導くのは、日々何をどの様に食べるのかが重要と言う結論に至った。それからは巷で言われている健康的な食事療法の中で、これは信ぴょう性があると直感したものを実践していった。しかし医療系の職業に就いていたにも関わらず、その当時仕事でも使っていた食事や健康管理の方法はどこか歪んでいる(または何か重要なことが欠落している)と感じていたので、それ以外の食事療法を試していった。

 最初に始めたことは朝食を無理に摂らない事だった。これは今も続いているが、これを始めたことによっていかに自分が「常に満腹」の状態を維持しているのかを知った。本来人間も動物であるし、どこでも小腹が空いた時には食べ物が手に入る状況で常に満腹になっている必要はない。しかもこの「満腹の状態」は曲者で、端的に言うと頭の働きが低下する。身体も動かすことが億劫になる。この悪循環で、肥満まっしぐらではないかとハタと気が付いた。身体を動かすときには軽めの食事に変更したが、日によってはそれでも動きが鈍いと感じることもあった。そこで無理に空腹ではない時には朝食を摂らない選択をした。食事は1回1回で完璧にしようと思うとストレスになるし、外に出ていて自分の思うようにならない時もある。だから食事の評価は1週間単位でどうだったかを振り返ることにした。

 次に完全菜食主義の食事をした時期もあった。最初は体が軽く感じ調子が良いのかと感じたが、徐々に争いを好まなくなり、スポーツで競う姿にも感動を覚えなくなり、最終的には生きる意欲がかなり低下してきたのを感じた。これは良くないと思い、無理に動物性のタンパクなどを避けることを止めた。この経験から、人間の欲は悪いものと思っていたが、欲があることで生きていくことができるのだと感じた。またあまり厳密に実践すると、いわゆるベジタリアン拒食症のような症状が出てくるので、しっかりと線引きするところと緩く制限するところのバランス感覚は大切と言う経験もした。

 巷で言われているからだい悪い食べ物…
スナック菓子特にその代表のポテトチップス、砂糖たっぷりの甘いお菓子、揚げ物、インスタント食品など避けている時もあったが、食べたい時は我慢し続けると精神的に病んでくる。したがって現在はそれもやめた。

じゃあ何がいいのか?
わたしは自分の「食べたいなぁ」と言う感覚を大切にしている。
料理になる前の材料から食事を作るのが一番いいと思うが、時にはインスタントがあっても良いと思う。要はバランスと自分がどこまで許容するかと言うことではないだろうか?今や共働きは当たり前の世の中であり、短時間で食事を準備しなければならないこともある。巷には農薬や保存料などの添加物が使われている食品で溢れている。すべて排除しようとしたらきっと食べられるものが少なすぎて餓死する。
 そんな食の事情であってもこれだけは続けたいと言うものがある。それは「何か手を加えないと食事が出いない不便な状況を作る」と言うことだ。これはレトルトを除くという注意書きがあるのだが、野菜を洗う・切る・火を通すなどの手をかけるちょっとした不便さを「食」に関わる部分で設けることにしたのだ。今日は時間がない、気力がないと言う時はもちろん出来合いのものだ構わない。でもやれる時にやるというのがわたしにとって良い感じだという事が分かった。

 ちなみに全身的な健康を保つ意味でもこの「不便さ」は活躍する。実は現在自家用車を所有していない。1時間に1本しかない路線バスが私の移動手段だ。車で移動できないと言うことは、ドアからドアではなく目的地付近で下車し歩かなければならない。この歩く機会を作ることがないより大切だと感じている。1日に30分以上の運動を週に何日しているかと言う質問が、検診の問診票に載っている。こんなことをしなくても、日常に身体を使わないとならない状況の設定をしておくと、わざわざ運動時間を組まなくても済むのだ。これもバランスが大切で、文明の利器を使う部分とアナログの部分とを上手く組み合わせるのが大切と思う。人それぞれ体力があるから、最終的には自分で試行錯誤するしかない。その時の体力と生活様式に合った自分だけのスタイルを見つけ、その不便さを豊かさに変えて日々生活をしていきたいものである。

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