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自己開示と愚痴の違いってなに?

とあるクライアントさんか「自己開示と愚痴って似てるけど違うと思うんです」という話がありました。

確かに!と思ったので、このお話を私なりに掘り下げてみたいと思います。

自分の本音を言う=自己開示
だと思っていると、もしかしたら初期の段階では愚痴になりやすいかもしれません。

端的に言えば、自己開示って自己認知の中でオープンにお伝えしていくことだと思います。
そして、自分の状態や感じたことを表現していきます。

その時に第三者の目で俯瞰して自分を見ての自己開示と、ただ感情に任せて自分のことを言っている愚痴に分かれる気がしています。

もちろん、感情的に言うのは喜びの時もいうので、どちらかというと感想ですね(笑)

自己開示はあくまでありのままの自分の情報開示じゃないかと思うのです。
もちろん、感情もその一部ではありますが、それをメインにしてしまうと「聞いて!聞いて!共感して!!」となりがちです。
この時点で「寂しい」や「辛い」が隠れている可能性も。
本音ではないから自己開示としては愚痴はまだ浅いところの感情なのかもしれません。

自己開示していく時、自分の本音に触れるし、事実を捉えていくことになります。
そういう意味では素敵な自分にも出会うと同時に、見たくない自分を見ていくことにもなります。

自己開示とは時として弱さすらさらけ出す行為。

そう思うと、自己受容ができてない人は自己否定が出やすくなるので、愚痴は言えても自己開示はできないっていう図式になるかと思います。

だめだと思うことがいっぱいあるということは、それをひっくり返せば素敵なこともいっぱいあるのですが、どうしてもマイナスなこと誤魔化したり隠そうとしてしまいがちです。

評価されるのが怖いから。
人から評価されて落ち込むくらいなら、自分が先に自分のことを下げとけ!という人もよく見かけます。

それを自己DVというのかも?

自己開示はあくまで自分を知っていくこと。
そして、掘り下げていくと自分の知らない自分にも出合います。

わかると困りごとを解決できたりもします。

自分の弱さすら大切なのだということを念頭に置いて、自分に寄り添い、自分が自分の味方であるための自己開示をしていきたいものです。


生きずらかった私が、自分らしく生きれるようになった。 毎日が楽しくなった。 イマジネーションをクリエイトしていくために、自分土台作りのお話をしていきたいと思います。