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【掌編小説】よくありません

 電話。
「ねえ、もし、僕が、百万円くらいするダイヤの指輪を持って、君にプロポーズしたら、結婚してくれる?」
「え?なにそれ、ふざけてんの?」と彼女は言う。
「ふざけてないよ」
「酔ってるの?」
「酔ってない」
「変なの」
「ねえ、どう?結婚してくれる?」
「うーん、結婚はねえ」
「じゃあ、付き合ってくれる?」
「うん、いいよ。付き合うくらいなら」
「そうかあ」
「え?なに?」
「じゃあ、五十万円だったら?」
「うん、まあ、いいよ」
「へえ」
「意味わかんない」
「三十万円」
「うん、まあ、いいですよ」
「十万円だったら?」
「ずいぶん、安くなったねえ」
「どう?」
「十万かあ」
「だめ?」
「そうだなあ、考えちゃうなあ」
「二十万」
「うーん、まあ、いいかな」
「いいの?」
「うん、いいよ」
「そっかあ、二十万かあ」
「だから、なんなの、それ」
「君の心は二十万円で買えるってことだね」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、どういうわけ?」
「別に、どういうわけでもないけど」
「俺って、結構、すごいことするよ」
「なに、すごいことって」
「すごいことだよ」
「だから、なに?」
「いい?」
「よくありません」
「じゃあ、ちょっと、すごいことは?」
「ちょっとって、なによ」
「ちょっとはちょっとだよ」
「まあ、ちょっとなら」
「いいんだ」
「だって、ちょっとでしょ?」
「じゃあ、今から、指輪持って、君にちょっとすごいことしに行くよ」
「え、冗談でしょ?」
「冗談じゃない」
「はい、はい」
「指輪はもう、持ってるんだ」
「は?なにそれ。いつ買ったのよ」
「今日の昼間」
「二十万円なの?」
「うん、二十万円」
「本当に?」
「本当に」
「家、知らないじゃない」
「教えてよ」
「嫌です」
「いいって言ったじゃん」
「言ってない」
「言ったよ」
「だって、部屋、汚いし」
「俺が行くまでに片づけておけばいいじゃん」
「面倒くさい」
「だめ、いいって言ったんだから、片づけなきゃ」
「じゃあ、また今度ね」
「だめ、今」
「本気?」
「本気だよ」
「えええ、ちょっと、待ってよ」
「もう、ちょっと待ったよ」
「えええ、家、教えるの?」
「教えるの」
「わかった」
「はい、どうぞ」
「西小倉駅の、恋鐘通りを通って」
「こいがねどおり?」
「こいがね」
「で?」
「ちょっと行くと、前にヨシイ歯科っていう看板のある交差点があるから」
「交差点があるから」
「そこを左に曲がって」
「左に曲がって」
「点滅信号のすぐ先のマンション」
「点滅信号のすぐ先のマンションね」
「そう」
「何色?」
「何が?」
「マンションの色」
「赤。煉瓦色」
「わかった。じゃあ、行くからね」
「どれくらいで来るの?」
「そうだな、三十分くらいかな」
「え?そんなに早く来れるの?」
「羽根がついているからね」
「羽根?」
「うん。背中に」
「ふうん」
「ちゃんと片づけておいてね」
「わかった」
「いい子にね」
「わかった」
「じゃあ、着いたら、電話するから」
「わかった」
「部屋、何番?」
「302」
「302」
「うん」
「じゃあ、また」
「また」
「愛してるよ」
「は?なにそれ」
「いや、別に、言ってみただけ。聞いたことある?愛してるって言葉」
「ない」
「愛してる」
「変なの」
「じゃあ、また」
「また」
「三十分後に」
「ねえ、」
「なに?」
「指輪、忘れないでね」

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