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【掌編小説】恋人以外の誰かを好きになる

 天気が良いにも関わらず、僕とアヤは一日中、僕の部屋でごろごろして過ごした。
「ねえねえ、ユウ君、彼氏がいる女の子を好きになったことある?」と僕の隣で漫画を読んでいた彼女が言う。
「女の子を好きになったことはあるけど、その子に彼氏がいるかどうかはあまり気にしたことないな。どうして?」
「ほら、この漫画のさ」と彼女は読んでいた漫画の表紙を僕に見せて言う。「主人公の男の子がさ、彼氏のいる女の子を好きになっちゃうんだよね。でも、彼女を困らせたくないから、ずっと気持ちを隠してるの。切ないでしょ?」
「彼氏がいるかどうかなんて、俺は気にしないけどな」
「彼氏がいる女の子でも好きになるってこと?」
「いや、好きになった女の子に彼氏がいるかどうかは、関係ないってこと」
「ほほう、強者の論理ですな」と彼女は言う。「でも、好きになった女の子が、私、彼氏いるの、って言ってきたらどうするの?」
「で?って言う。彼氏がいるから僕のことは好きじゃないって言いたいのか、彼氏がいるから僕とは付き合えないって言いたいのか。僕は君が好き。君はどう?って」
「彼氏がいるからあなたとは付き合えないって言ってきたら?」
「どうして?って言う。彼氏を好きな気持ちと他の誰かを好きな気持ちは全く別でしょ。彼氏が好き。俺のことも好き。何がいけないの?」
「でも、彼氏を傷つけちゃう」
「もし彼氏が嫌がりそうなんだったら、わざわざ話す必要もないじゃん」
「ちょっと待って、頭が混乱してきた」と彼女は頭に手を当てて言う。「ってことは、ユウ君、もし私が別の人を好きになってもいいってこと?」
「全然いいよ」と僕は言う。「アヤが僕を好きかどうかが大切なんであって、他に好きな人がいるかどうかは僕には関係ない」
「ちょっと待って、ますます混乱してきた」と彼女は漫画をテーブルに置いて、両手で頭を抱え込んで言った。「じゃあ、もし他に好きな人ができたら、それをユウ君に話してもいいってこと?」
「うん、全然いい」と僕は言った。「むしろ、興味がある。アヤが僕以外にどんな人を好きになるのか」
「興味がある」と彼女は繰り返す。
「うん、興味がある」
「嫌じゃないの?」
「全く嫌じゃない。もしそんな人がいるなら、知りたい。アヤがどんな男を好きなのか。アヤ、好きな人いるの?」
「いないよ。いるわけないじゃん。私が好きなのはユウタだもん」
「アヤが僕のことを好きなのは知ってるよ。他に好きな人はいないの?って」
「だから、いないよ。いないでしょ。いるわけないじゃん」
「ふうん、そっか」
 彼女は一呼吸置くと、ソファの上で座り直して、膝をこちらに向けた。
「ちょっと待って、頭がぐらぐらしてきた。怖い、怖い、怖い。ユウタ君、そういう人なの?ってことはだよ、ユウタ君。うわ、まじ怖い。ちょっと落ち着いて、私。深呼吸して。はあ。いい?ってことはだよ?ユウタ君も他に好きな人がいるってこと?」
「いないよ」と僕は言った。「今はアヤしかいない」
「今は?」と彼女はほとんど叫ぶように言った。「今はってことは、この先できるかもしれないってこと?」
「そうだね、この先のことはわからない」
「いやいやいやいや、無理無理無理無理。私、耐えられない。そんなの絶対無理。ユウ君が他の人を好きになるなんて。想像しただけでも、目の前が真っ暗になる。考えただけでも涙が出てくる」そう言って、彼女は実際、目を潤ませ始めた。
「アヤはそう言うんじゃないかって思ってたから、あまりこういう話はしたくなかったんだけどね」
「なんでしたの?」ともはや泣き叫びながら言った。
「いや、そっちから話してきたから。嘘つくのも嫌だし」
「私がした?そっか、私がしたのか。いや、それにしても。私の幸せで平和な日々は、この数分で崩れ落ちましたよ?どういうこと?ああ、もう、嫌。私、これからずっと怯えて暮らさなくちゃいけないの?ユウタに私以外に好きな人ができるかもしれないって?」とぼろぼろ涙をこぼしながら言う。
「他に好きな人ができるかも、っていうのは、俺じゃなくても誰でも同じじゃない?」
「まあ、そうだけど。でも、ユウ君、私を好きでも、他にも好きな人ができる可能性があるってことでしょ?」
「それも、誰でもありうることでしょ」
「まあ、そうか。確かにそうか。じゃあ、ちなみに、よ?今まで彼女がいるのに、他に誰かを好きになったことはあるの?」
「ないよ」
「え?ないの?」
「うん、ない。俺、不器用だもん。そんなに同時に二人の人を愛したりできないよ」
 彼女は涙を頬に伝えさせながら、目をまん丸に開いて、僕をじっと見た。
「そっか、ないんだ。え、じゃあ、なに?この涙は」
「俺に訊かれても」
「ちょっと待って。落ち着いてまとめるから。ユウ君はアヤが好き。他に好きな人はいない。この先、他に誰かを好きになる可能性はあるけど、それは誰でも同じ。今まで同時に二人以上の人を好きになったことはないし、なかなかそんなことができる性格でもない。これで合ってる?」
「合ってる」
「じゃあ、何も問題はなくない?」
「ないと思うけど」
「なんで私は一人で取り乱してたの?」
「さあ」と僕は言った。
 彼女はテーブルの上のティッシュを掴み取ると、涙を拭いて、勢いよく洟をかんだ。それから、「大丈夫だよね?私。うん、大丈夫」と一人で納得するように頷いた。
「さっきのまとめだけど、一つだけちょっと違うところがあった」と僕は思い出して言った。
「え?何?怖い」と彼女はまた泣き出しそうな顔をして、身を乗り出して叫んだ。
「ユウ君はアヤが好き、ではなくて、ユウ君はアヤが大大大好き、だ」
 彼女は僕に抱きつくと、「私、ユウタ以外には絶対に誰も好きにならない」

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