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呟き「なんでPENTAXつこてんねやろ」

前もって言っておくが、PENTAXやKPを貶める意図は無く、ただただ自分と向き合っただけである。またtweetより幾分マシとは言え思考が乱雑かつ稚拙なのはご容赦願いたい。

 昨日の夜(2020/4/6 午前2時前後)に数個のtweetをした。

 誰しもこんな感覚を抱いたことがあるんじゃないだろうか。「いや、自分は熟考して機材を決めたし不満はない。」って人はすごい。尊敬する。今はそういう人はひとまずおいておく。

 なんでつこてんねやろ、と言いつつ使っている理由を考察していきたい。本当にフィーリングが合わなければシステムを変えればいいし(現に僕はCANONからPENTAXとSONYにした)、ピッタリ合ってるなら好んで使えばいい話。愛着が激しい(所謂PENTAXIAN、信者と呼ばれる類)わけではないがそれなりに愛着はある。KP、MX、MG、SP、645、Espioと使っているのは単にメーカーが好きなだけではないだろう。はてさて。まずは全メーカーにも言える話から。

 一つには初心を忘れ切れていないのではないかと思う。いい意味で初心を忘れられた場合、つまり知識や腕前がついてきて自分の撮影スタイルを確立できているのであれば機材選択における迷いは減るのではないかという事だ。自分が何を撮りたいか、どう撮りたいか、それにはどういう性能を持った何が必要かとある程度自然に分かってくるはずである。単純化するが、例えば飛行機が撮りたいからカメラに連写性能を求めて望遠レンズが欲しいです、みたいな。今の僕にはそういうものが無くただ漫然とカメラに撮らされているだけ、周囲の評価や発表を見て機材を使うだけになっているのではないか。ちなみに逆に悪い意味で初心を忘れると、写真との向き合い方が根底から揺らいでしまうのでこの問題以前の話になってしまうのではないかと思う。

 二つ目に、これは極めて単純な話だが自分のどこかで今までの投資を惜しんでいる節がある気がしている。機材への投資金額だけではなく、同額でも別の機材だったら撮れたのにといった一種の後悔も含む。これに関しては機材自身は悪くない。使いこなせていない自分か、買うに至った自分の決断を恨むのみである。機材を性能限界まで使い切れているのなら機材のせいにも出来るだろうが、自分はそれが出来ているだろうか(反語)。買った段階ではその機材に良い点を見出して買ってるわけだから、それを思い返してみたり、あるいは過去の自分の判断を否定するのが嫌なだけに思えている。

 雑に二点に絞って書いてみたが、僕は特にPENTAXを使っている時にこれを感じる。では何故PENTAXで、なのか? 確かにtwitterではよく自虐ネタにされたりPENTAXIANと揶揄されたりするが。

 ……僕は今正直に言って、メーカーに覇気を感じていない。C社やN社、S社とタイマンを張ってやろうという気概を感じない。なんと言うか、直球ではなく変化球、それも山なりの超スローボールとか背面投法みたいな、「本人は真面目にやってるのかもしれないが見る人によってはふざけてると思われる」ような印象を受ける。(野球に強い方ごめんなさい) …… これ以上書くとただの愚痴か批判見たくなりそうなので止めるが(既に手遅れ感はある)、なかでも僕が好んで使う製品はどれもまだメーカーに元気があった時代、正面切って戦えていた時代のカメラな気がする。MX、645なんてそうじゃないか? なんなんだろうなぁ……また文章にまとまりがなくなってきた。

 要するに、過去の製品は好きだが今の製品にはやる気(雑な言い方)を感じない。メーカーを切ろうにも好きな部分(=昔の製品)もあるし、自分の選択が間違っていたと認めたくないから離れられない。なんだ、前は真面目な文章書いときながら、蓋を開けりゃ盛大なオナニーじゃねえか。それでもなんだかんだMXも645もKPも好きだから使ってんだよ文句あっか。はい、駄文ながら考えが形になるにつれてしょうもなく感じるようになったので大人しく写真撮りにいきます。だけど多分また数回はこういう地点に帰ってきそうね。

(2020/4/8 3:12追記)

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