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話が噛み合わなくなるアラサーの友人関係

 小学校から高校まで同じ学校に通っていた友人と久しぶりに電話をした。友人とは、仕事の系統が似ており、話が合うし、キャラクターが面白いため、いつも心の底から笑っていられた。

 しかし、そんな仲が良かった友人ともだんだん疎遠になってしまった。私の変なこだわりだが、ある一定の自分のテリトリーの中に入られると嫌な気分になってしまう相手が数人いるのだ。そして、その友人も該当する。なぜなのか自分でも分からない。

 だから、話が弾み、深い話となり、私のことをあれや、これやと詮索するかのように質問されるのが耐えられなくなるのだ。すると、自然と「もうしばらくは連絡取らなくてもいいかな」という気持ちになる。

 私は、数少ない大事な友達とは連絡を取っていたいし、友達のことは大好きだ。なのに、30代が近づくに連れ、違いのライフステージに微妙は差が生じ、話が噛み合わなくなる。自分の価値観が相手には理解されず、驚かれたり、可哀想な目で見られたりすると、自分の選択は間違っていたのかなと心配になる。

 今回久しぶりに連絡を取った友達は、私よりも少し早く結婚し、子どもも授かり、家も購入したようだ。しかも、一軒家。いずれは、親と同居するため、共働きでも子どもの面倒を見てくれる存在が近くにいるということになる。

 羨ましいったらありゃしない。

 電話を切った後、放心状態・・・。幸せの形って色々あるけれど、安定した職業の者同士が結婚し、家を買い、親にも会える距離で生活をし、何かあったらいつでも頼ることができる。なんて幸せなんだろう。私が求めている幸せの形はこれだ。地元を離れる前は、都会でバリバリ働き、刺激を受ける環境に身を置けることが幸せだと思っていたけれど、違う。いざ身をおいても幸せは感じられない。私にあった幸せの形はこれなんだと今になって気づいた。

 人生やり直したいという絶望的な気持ちになった。

 だけど、いつでも大事なことは「足を知る」ということ。他人と比べている限り、いつまで経っても幸せを感じられるわけがない。
 
 隣にパートナーがいること、一人でも生きていけるだけの収入があること、家族が健康でいられること、友達がいること、どこに住むか選択の余地があること、これってとっても幸せなこと。

 今ある幸せをこれからも大事に、周りにいてくれる人に感謝しながら生きていけるようになりたい。

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