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課外活動のススメ
仕事以外にも自己実現の方法はある。
当たり前だけど、留学前はこうしたことに気付き、ましては実践する余裕はなかった。
こうした反省から、今は仕事以外の時間に、ある町の観光振興に関する活動を有志で行なっている。
この活動を通して、組織の構造によって議論の進め方が違うことに気づいた。
垂直的な会社と水平的なグループ
大雑把に言えば、会社は垂直的に物事を決定していく。
「上司」と「部下」という固定的な役割に基づき、「上司」が決裁を下すというやり方だ。「部下」の役割は「上司」の要求に答えることである。
一方、職業も年齢も異なるグループにおいては、お互いの考えを突き合わせながら合意形成するといった、水平的なアプローチが取られる。
個々の専門分野を活かしながらも、時には話し手、時には聞き手に回るなど、役割が流動的なのが特徴だ。
こうした違いに当初気づかなかった私は、うっかり垂直的な物事の進め方を、グループの水平的な議論に持ち込んでしまった。
対話を通じで納得感を生む
「部下」としては、「上司」の要求に答えなければならず、「わかりません」はあまり許容されない。だから日頃から自分の考えをロジックで固めて主張する必要がある。
こうした意識でグループの打ち合わせで持論を展開したところ、みんな反応に困ったのか、微妙な空気が流れてしまった。
ここで、グループに必要なのは自分の主張を相手に受け入れさせるレトリックではなく、みんなで考えを練っていくディスコース(対話)なのだと知った。
いくら良い提案でも、みんなで考えを出し合った結果でないと、メンバーに納得感が生まれないからだ。
社会では対話が求められている
これは現代の政治にも言えるように思った。
政治、あるいは結果としての公共政策は今も垂直的に行われているように思う。
つまり、とりあえず政策を打つ「政府」や「行政」と、とりあえず政治家や官僚にどうにかしろと求める「国民」という構図だ。
政治に無関心でも経済発展できた昔はこれでよかった。
ただ、政策運営の方針を失った今、討議を重ねた上で道筋を模索するしかない。上意下達で政策を打っても、自分には関係ないものとして国民は政治から離れていってしまう。結果として、政治家は民意がわからず、国民は文句だけ言う対立構造が続いてしまう。
要は国民の政治参加が必要なんだという話で、言うは易く行うは難し。その実現の仕方について、ここで深く論じるつもりはない。
ただ、会社で醸成される垂直的な思考ばかりしていては、参加型の政治は実現できないな〜と思った(もちろん垂直や水平は度合いの問題なので、単純化した話として聞いて欲しい)。
課外活動を通して、会社というのは、ある目標を効率的に達成することを追求する特殊な組織なのだと改めて認識することができて良かった。課外活動おすすめです!
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