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映画の感想「劇場版 幼女戦記」「帰ってきたヒトラー」

最近はヨドバシをヘビーユーズしているのであまり恩恵を預かれないAmazonプライムをそろそろ解約するので、つまみつまみAmazonプライムビデオで映画を観て過ごすことにした。

日曜は「劇場版 幼女戦記」を観ていたのだけど、話の作り込みがすごい。世界大戦にはあまり詳しくないのだけど、モチーフがなんとなくわかるので「これって表現として大丈夫?」と思いながら観ていました。例えば、敵国の指導者の像を叩き潰すところとか、具体的な地名とか。あとは「やり過ぎ」な破壊活動、挑発、それにより相手の面目を潰せば落とし所がつけられなくなるなどの政治的な部分はまんま人間関係にも言えそうなところだけれど、ヒリついて良かった。ターニャの扇動的演説は流石で、これちょっと文字に起こして己を鼓舞するときに声に出して読みたいレベルですね(かなり過激だけれど)

とある衝突地に敵国の兵がどんどん兵が投入されていく様は「死ぬことを恐れない」「人海戦術」の、やられる側の怖さがわかった。狂ってる。けれど、逆らっても死ぬんだったら、もしかしたら生きて帰って来られるかもしれない戦場へ向かうしかないんだろうなと、どうしてか敵国のことを想ってしまった。

「人的資源を無駄にしている」戦争が嫌いだというターニャの「正しく勝たねばならない」演説は心打たれるもので、それが「どうしても安全安寧順風満帆な後方勤務がしたい」という勇敢な軍人らしくない動機から来たものでもそれらしく聞こえるので、彼女(彼?)ほど本音と建前を綺麗に使い分けるキャラクターはいないだろうと感心を通り越して感動しましたね。

敵国のウィリアム・ドレイク中佐がターニャとの戦闘で死にかけていたメアリー准尉を救出する場面でコロッと好きになりました。敵なのに、主人公。もとい、主人公のようなもの。
どういう構成なんだ、この脚本は。



月曜日である今日は、邦画チャレンジに失敗したので、正気と狂気のコメディと名高い「帰ってきたヒトラー」を観ることにした。

最初からキリキリ嫌な予感を掻き立てていたのは、作中では多く語られない彼の蛮行を私が、私たちが教育の過程で叩き込まれたからであろうか。「この話の展開はヤバイ」と思いつつ、どうにも惹きこまれてしまうのは、彼の力強さに引っ張られる形、だったのだろうか。力強くカリスマ性があり、凡人を鼓舞する演説には、理性的な民衆を狂信者にするうねりがあるのかもしれない。

この映画は、かようにタブーの隙間をタップダンスしながら物語が進んでいき、しかし笑えるコメディの体は保っているところに恐ろしいバランス感覚を感じられる。あるいは、コメディの皮をかぶったサイコ映画なのだけれど、随所に彼の逸話がみてとれる。
例えば、にこやかに移民と握手をし、意見交換をしているシーンは、少し前に小さく炎上していた「実は良い人だった説」を髣髴とさせ、このバランス感覚はもはや化け物じみているなと感じた。

作中、彼の長いコート姿のシルエットが綺麗でとても印象的なのだけれど、軍服がやたらかっこいいのは、「憧れのイメージ」を持たせるためらしい。(そういえば、彼はずっと軍服かフォーマルなスーツを着用していた)
人は報酬により命を捨てるのではなく、社会的名誉により命を捧げるということが頭の片隅をよぎった。

作中で彼が言った「神が私に政治家たれと望んだのだ」「選んだのは国民だ」という言葉が印象深い。

「国のためなら道化だって演じる」という言葉も。

悲劇はいつだって、コメディじみた日常から始まるんだろう。




文章活動を通して、自分の「スキ」をカタチにしたいとおもっております。かしこ。