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公務員を退職し、17年ぶりの母校「法政大学」を訪問

仕事を辞めてずっと避けてきた大学へ

 先週、自分の母校「法政大学」を訪問した。一度自分を振り返りたくなり、訪問した。
 
 久しぶりの母校訪問だ。2007年に卒業してすぐ用事で行ったことはあったが、それを除けば17年間足を踏み入れたことがない。

 僕は卒業後もずっと千葉県民で、行こうと思えばいつでも行ける距離だ。自分にとって大学は特段良い思い出があったわけでもないので、あえてその場に足を踏み入れたい、と思うような場所でもなかった。

満喫できなかった大学生活

 自分にとっての大学生活は希望と絶望を同時に味わった4年間だった。

 入学式、ワクワクしながら日本武道館に足を踏み入れたこと、今でも覚えている。
 特段特技もない僕は、当時はやたらとロックとアニメにハマっていた。大学に入学したら、気の合う趣味仲間を見つけ、彼女も見つけ、好きな世界にどっぷり浸かる4年間を過ごそうとしていた。要するに、勉学というよりかは大学生活という貴重な自由な時間、「モラトリアム」を満喫してやろうとしていたのである。

 しかし、大学入学時早々に趣味とは別の繋がりができてから、自分のやりたいこと、人間関係の優先順位が良くわからないものになってしまい、与えられた自由を活かしきれないまま卒業した。
 
 文章にして書くと大したことのないフラフラ生活だが、当時は「何でもない自分」「つまらない自分」という自意識にとらわれて、本当にしんどかった。その後もつらい経験はいっぱいしているはずなのに、「自信のなさ」ではぶっちぎりで大学生活とその後就職までの計6年間が飛び抜けている。

久しぶりの大学訪問、17年で風景様変わり

 仕事を辞めなければこれからも行くことはなかっただろう法政大学、心と時間の余裕ができたのか、東京に用事があったついでに、思うところがあったので訪問することにした。

法政大学市ヶ谷キャンパス構内1
法政大学市ヶ谷キャンパス構内2

 17年ぶりに訪問した法政大学市ヶ谷キャンパスは見違えるようだった。

 僕が入学した時期も各施設は老朽化が進み、学生会館が取り壊され、隣接施設を拡張するなど変化を見せていたが、久しぶりの訪問時、入学時に残っていた施設はボアソナード・タワーと図書館だけ。地面もコンクリートからタイル張り。

 法政大学といったらビラが貼りまくりの小汚い大学だったが、おかげで何から何まで小綺麗な大学に様変わりしていた。

ボアソナード・タワーで感極まる

法政大学ボアソナード・タワー内

 そんな中で、入学時からの佇まいが残っているのがボアソナード・タワーだった。

 大学入学当時、ボアソナード・タワーで講義を受けた時の感動がすぐに戻ってきた。

 市原市の片田舎の高校から大学に入学した時、このタワーの立派な佇まいと、洗練された講義室に明るい未来を予想したものだ。今では法政大学でも古い部類の建物となっているが、その分当時の記憶がうわっと目に焼き付くようで、何ともいえない感動があった。

初心に戻る

ボアソナード・タワー地下食堂

 久しぶりにボアソナード・タワー地下で生協の学食を食べ、残る時間は大学図書館にこもった。

 読みかけの本を当日読み切りたかったし、せっかく持ってきたノートで、自分の人生について深堀りしたかった。

 大学の図書館、学生時は何度も利用していたが、思えばこんな使い方をすることは初めてだ。

 大学にいたころは目の前のことで頭がいっぱいで、自分の人生を深堀りする、なんてことはなかった。

 自分が本当は何がしたいのか、それを達成するにはいつまでに何をすべきなのか、それを真剣に考えたことはなかったし、考える余裕がなかった。

 仕事を退職し、何も属さなくなった僕はちょっとあの時と状況が似ているかもしれない。

 40歳近くになっても、結局のところは僕は何でもない、何の取り柄もない人間だ。

 ただ、自分なりに真剣にノートと向き合っていると、何でもない自分ということにさして悲観するわけでもなく、これから何かを始めるのだというワクワク感でいっぱいになった。

 何でもない人間から何かになろうとした大学一年生の頃の感情が、また戻ってきた。大学の図書館で、周りは20歳も離れた学生を目の前に、何だか涙がこみ上げてきた。

 20年前とは違う。今はもっと自分の人生を真剣に考えている。すぐに結果が出なくても、地道に努力すれば何かが変わる。

 久しぶりの法政大学で、自分に立ち返った貴重な一日だった。

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