書くということ、素直になるということ
もへさんへ
今日は23時を少し回ったころ、ベッドの上で書いています。さむがりなので家ではいまだに長袖に長ズボンですが、冬用に2枚重ねていたお布団を1枚はがして春用にしました。窓を開けたときに感じる空気が、もうなんだか夏ですね。
「おうち時間」の過ごし方、答えていただきありがとうございました。本筋とはずれますが、引用されていた「うまそう・うまい・うまかった」ってめちゃもへさんぽい。笑
そうそう!となったのは特にこの部分。
やってみてどうだったか?をきちんと感じて、味わうのも大事な気がしていて。しっくりくるかどうかの判断をひとつひとつしていくというか。
ここに気づけてから、おうち時間も悪くないなあと思えるようになりました。ひとつひとつを味わえるなんて、なんてぜいたくな時間。
ふみちゃんは文章を書くときに心がけていることや大事にしていることはありますか?
個人的にふみちゃんの文章がすきだなあと思っているので、舞台裏が聞いてみたくなりました。
すきと言ってもらえるなんて!うれしい!です!ありがとうございます。
書くのはすきだけれど、「書く」という行為自体にはあまり向き合ってこなかったので(なんでだろう)、今回を機につらつら考えてみようと思います。ふと思ったのは、もへさんもおうち時間で大事にされていた「しっくりくるかどうか」って、わたしが文章を書くときにも大事にしているなあということ。
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ちょっと昔話をすると、わたしが初めて「文章を書く」を意識したのは高校2年生。部活(オーケストラ部でした)の演奏会のパンフレット係になったときでした。あいさつや曲紹介の句読点の位置や単語のニュアンス、読んだときのリズム感がどうしても気になって、全ページひとりで赤を入れたのを覚えています。
書き言葉に限らず、話し言葉でも意識してしまうのは単語選びです。あと、言葉じりのちょっとしたニュアンス。話し合い(や喧嘩)のときには、言葉を選ぼうと話し始めるまでに時間がかかるので、余計いらいらさせたこともありました。笑
言葉選びへの執着は、「自分の伝えたいことをできるだけそのままに、誤解なく伝えたい」という思いからきていて。「自分自身を誤解されたくない」、もっというと「嫌われたくない」というわたしが奥にいるような気がしていました。
結局自分の行動の動機はどれも"どうみられるか"軸でエゴイスティックだなあと、みんなに承認されるためのnoteから一旦離れていました。が、最近また書き始めたのは、書く理由をあたらしく見つけられたからです。それは、「自分に素直になるために、書く」ということ。
「自分に素直になる」というのは、自分の感情や欲求に耳を傾けて応えているという状態。ほかのひとの感情や欲求を汲み取って動いていたわたしには、それがとってもむずかしかった。
でも、「この言葉はしっくりくる?」「このフレーズは?」「言葉じりは?」と問いかけるのって、自分の感性に向き合うことだなと気づいたんですね。文章を書くことは、自分の頭とこころの中の声をきいて文字にすることは、「自分に素直になる」の一歩目だなあと。
Twitterと比べて、noteを書くのは実は時間とエネルギーがかかっています。それぞれの言葉すべてをしっくりくる方向に並べるのは、140文字くらいでちょうどいい。
noteくらいの文章のまとまりのすべての文字を思うように並べるのはむずかしいけれど、その並べるプロセスが「自分に素直になる」につながると信じて、最近は書くようになりました。
よしっと気合をいれずとも、例えば気持ちが沈んで元気がないときにも読める、むしろそんなときにこそ読みたくなるnoteがすきです。好きなnoterさんは、サクちゃんさんとあかしゆかさん。すっと溶けて、ふわっと包みこむような、読んだあとにじんわりするような文章がかけたら最高だなー。
「書く」を考えたらこんな感じになりました。
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もへさんのお返事noteのなかで気になったのが、この部分。
あれもやりたいこれもやりたい…!あーーー人生短い!!!となりがちなタイプだからなのですが、
わたし、人生って比較的長いなあと思ってるんですね。だから、その感覚ってどんな感じなんだろうと、聞いてみたくなりました。
もへさんと「人生短い!!!」の関係性を教えてください。
だいもん
P.S. 最近大学が恋しくなってきたので、大学近くの壁にしました。今週末で卒業式だ〜
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もへさんとだいもんで交換noteをしています。今までのnoteはこちらからそうぞ。