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胎内記憶?で妊娠中を振り返ったら

2歳半~3歳ごろから、娘は自身がお腹の中にいた時のことを教えてくれるようになった。

頻繁に話してくれるお話の内容は、その場面を見ていたかのように、かなり具体的でリアルな話だった。

例えば、「ママはお家でたくさん注射していて痛い痛いって泣いてたよ。だから、がんばれー!って応援してたよ。」

「ママは、おえーっていっぱい吐いてたね。」

「よく歌ってたよね。この曲聴いたことあるよ。」

など、他にもさまざま教えてくれた。

家でたくさん注射をしていたのは、妊娠糖尿病の基準値にほんの少し数値がひっかかり、病院から支給された検査キットで自宅で毎日血糖値を測っていたのでそのことを言っているんだなと思った。

指で測るんだけど、確かにすごく痛かった。針を刺す角度が悪いと上手く採血できなくてやり直しにもなるし、一日に3回測っていたので、とても苦痛だった。(二人目の時には、月2ぐらいで測っていたけど、一人目の時はやりすぎだと別の病院で言われたりしたので、今思うと病院変えれば毎日測らなくても良かったかも…)

血糖値検査の話を娘にしたことはない。なんで知ってるのか不思議だったけど、お腹から見ていたんだなと思った。

娘の時は、つわりが酷すぎて入院もしたし、結局生まれるまでずっと吐き気と闘っていた。初期の頃は水もダメで、水分補給できずに入院になり、24時間点滴されても一向に吐き気が止まらず、病院であまりにも嘔吐が酷いと母体にも危険があるので、最悪の場合、お腹の子を諦めるのも選択の一つだと言われ、何としてでも耐え抜いてやると思っていた。

妊娠初期で唯一食べられたのは、なぜかイチゴジャムのみ。それ以外は全く受け付けなかった。

ジャムのみは甘すぎるので、少しのパンに付けて食べると数分は持った。入院中の病室でつわりと闘いながら、母に差し入れしてもらったジャムを泣きながら食べていた。ママのせいでお腹の子を諦めるなんて嫌だと思いながら、少しでも栄養とらないとと思っていたっけ。

その頃、数秒も持たなかった私にはありがたい食べ物だった。血糖値はあがりやすいと思うけど、気持ち的にも何も食べられないよりはマシで、いちごジャムだけは吐き気が軽減された。(ちなみに、生まれた娘はいちごと、いちごジャムが大好き)

病院で出される食事は全く食べられず、匂いも受け付けず、気持ち悪すぎた。

食べたい気分じゃないけど、それでもお腹は多少空くので、入院中は毎日いちごジャムパンでしのいだ。

今でもよく、娘にママは何食べてたの??と聞かれるけど、「いちごジャムだよ」と答えている。

妊娠中期になっても、まともに食事は食べられなかったけど、いちごジャムパンはずっと食べることができたので、娘の身体はいちごジャムで大きくなったと言っても過言ではない。

汚い話だけれど、電車通勤だったので駅のトイレと仲良しになるぐらい毎日利用していた。そこにあってくれてありがとうと思うぐらい、乗り換え駅の度に利用していたトイレに感謝する毎日だった。

今思うとゾッとするし、ありとあらゆる物の匂いがダメで、吐き気も酷くて満足に眠れないし、それでも仕事はしていたのでよく生きていたなと本気で思える生活をしていた。

その当時は、生まれるまで毎日試練だと思って、終わりが見えない不安を抱えていて、生まれてからも二人目は絶対いらないと思っていたけど、何年後いろいろあって気持ちが変わり、娘に兄弟を作ってあげたいと二人目の妊娠・出産に踏み切った。

二人目を望むなら、あの地獄のようなつわりに耐えないといけないことは覚悟の上だった。でも、二人目は普通に耐えられるつわりで、妊婦生活も楽しむ余裕もあり、決して苦痛ではなかった。

お腹の子が違うとこんなに違うのか?というぐらいビックリしたし、つわり酷く無くて良かったと思った。

今回は、この辺で終わります。

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