見出し画像

【息ぬき音楽エッセイvol.10】Daniel Johnstonと”名付けること” by 村松社長

みなさまこんにちは。カロワークスの村松社長です。
お気づきでしょうか、もう2月が終わりますよ。やばいですね。
先日も弊社のKISHI君と「最近noteの順番回ってくるの早いよね…」と話しておりました。

再生速度が1.5倍速な感じの日々ですが、そんな中でご紹介するのは”ローファイ”の元祖とも言われるこの方、Daniel Johnstonさんです。
まずはたくさんの音源の中から、社長が1曲選ぶとしたらこれ!というこちらをどうぞ。写真のことを歌った名曲です。

私がわざわざ紹介するまでもなく超有名なアーティストなので「何をいまさら」感があるんですが、2019年に58歳で亡くなり、2017年のライブ音源が去年アナログ版で限定発売されるなど、再燃というか再考の時期がきたのかな、と思っております。

Daniel Johnstonさんは1961年にアメリカで生まれ、10代の頃から宅録したカセットテープで自作の曲を発表し始めます。80年代〜90年代にはカルト的なアイコンとなり、カート・コバーンやソニック・ユースなど、本当にたくさんのアーティストに影響を与え、支持されました。

長年統合失調症と双極性障害に苦しみ、自力で音楽や絵を始めた人なので、彼には「アウトサイダー」という枕詞がついて回ります。
ここで少し喉元に引っかかってくるのが、社長長年の懸案事項である「アウトサイダー・アート」問題

「アウトサイダー・アート」は1972年にアメリカのロジャー・カーディナルという美術批評家が作った造語ですが、この言葉の背景にはフランスのアーティスト・ジャン・デュビュッフェが1945年に作った「アール・ブリュット(生の芸術)」という言葉があります。

細かい説明は長くなるので省きますが、2つの造語が指すのは”西洋の正規の美術教育をうけていない人”が作ったアートのことで、知的障害を持つ方々などもこの中に入ります。

ヘンリー・ダーガーやシュヴァル、以前ご紹介したMoondogやティッシーおじさんなど、「アウトサイダー」と呼ばれる人たちの中に大好きなアーティストがたくさんいる社長は、いつもこの言葉を躊躇しながら使っています。
これまで多くの指摘がされてきたように、この言葉の中には”内側”と”外側”を分ける視線、”野生”を”発見”するという植民地支配的な考え方がつきまとうから。

裏側にこめられた意味は別として、「アウトサイド(外側)」や「ブリュット(生)」という言葉をチョイスして何か新しいものに名前をつけた、という行為そのものについて考えさせられます。

例えば「写真」という言葉は、もともと「photograph」という言葉が登場するよりもっと古くから、人物の姿をありのままに生き生きと描いていることを示す絵画用語として使われていたそうです。
これがカメラを使った新しい表現手法の名前になり広く知られるようになったことで、「真を写す」という名前自体が「写真」の役割や特性を逆に定義づけていった、とも言えます。

神林優「写真という名について-発明前夜から日本伝来まで-」『表現学』第3号 (2017年3月25日)

とはいえ新しいもの・未知のものに名前をつけることは、人間である私たちが世界を認識するために必要不可欠なことなんですよね…。

きっと名前をつける時は「本物みたいですげー!」「カッコいいね、アウトサイダーだね」「素朴で野生的!トレビアン!」みたいなテンションだったのかもしれませんが(たぶん違う)、どんなに褒めていても、どんなにリスペクトがあっても、”名付ける”行為は暴力的な側面もある、ということを忘れないでいたいものです。

どんどんDaniel Johnstonさんから話がそれてしまったので、冒頭にご紹介した曲「Some Things Last A Long Time」のラナ・デル・レイさんカバーバージョンで無理矢理まとめたいと思います。
ではまた次回!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?