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【息ぬき音楽エッセイvol.17】フィリップ・グラスとSF by 村松社長

みなさまこんにちは。カロワークスの村松社長です。
先ほど外を歩いていましたら、どこからか金木犀の香りが漂ってきましたよ。どうやら季節は秋になったみたいです!
突然の秋の訪れに戸惑いを隠せないでおりますが、ちょうど1年前のnoteでも同じことを書いておりました…。毎年秋に戸惑っているのか、私。

あっという間の1年とは思うものの、未知のウィルスに翻弄される状況はあまり変わっていません。「まるでSFの世界」と称される状況になってから、もう少しで2年が経とうとしています。

実を言いますと社長はSFが大好きで、noteにいつ書こうかと温めていたテーマでもあります。
SFは小説や漫画・映画などさまざまなジャンルがありますが、SF小説に関して言うと、アメリカやイギリスといった”SFの本場”である国以外(中国や韓国、イスラエルなど)の作品に注目が集まったりと、コロナ以前から新しい動きはありました。
ところがこの「現実がSFみたい」な状況になり、SFそのものに対する人々の考え方が変わってきたような気がします。

ビジネスの世界では「SFプロトタイプ」と呼ばれる、SF的思考をビジネスに活かそうという考え方が出てきましたし、未曾有の状況を打開する手立てを「SFの想像力」によって見つけ出そうとする、”藁をもつかみたい”気持ちを感じてしまいます。

さてこの状況において、SFには一体何ができるのでしょうか?
まずは、SF作家の小川哲さん、SF研究家の橋本輝幸さんが今年に入って書かれた(お話された)テキストを読んでみてください。

お二人とも「SF作家は予言者か?(いや、違う)」と言っているのが印象的です。
「SF作家の仕事は未来を予言することではないし、正確な未来を知るためにSF作品に触れるべきでもない」(小川哲さん)

お待たせしました、ここで今回の主役Philip Glassさんが登場します。
一応ご説明しますと、1937年生まれ・アメリカの作曲家です。もちろんずいぶん前から知ってはいましたが、正直なところスティーブ・ライヒやジョン・ケージなど、他の現代音楽家に比べてこれまであまり注目してきませんでした。

しかしながら、世の中がこんな風になってから改めて聴きかえしたところ、どうしたことか染みちゃったんですよね…。
ミニマルなのに、心が波打つようなこの感覚は一体何なんでしょう(ご本人は「ミニマル・ミュージック」に入れられるのが嫌みたいですが)。

ちなみに染みすぎて痛いくらいなのがこの曲。
Philip Glass : Mishima / Closing(1985)

三島由紀夫さんの生涯と作品を題材にしたポール・シュレイダーさんの映画『Mishima: A Life In Four Chapters』のための曲です。残念ながら日本未公開ですが、美術を担当した石岡瑛子さんの展覧会(2020年開催)で、金閣寺のセットを観ることができました。できれば映画も観たい…。

今回、SFを考えるにあたって取り上げるのは1976年に初演が行われたオペラ、『Einstein on the Beach(浜辺のアインシュタイン)』です。
この作品はアインシュタインを題材にしており、舞台セットや登場人物などにアインシュタインを象徴するものを取り入れてはいるものの、明確なストーリーがある訳ではありません。
「列車」「試練」「宇宙船」などと題された9つのシーンからなる4幕構成で、最初と最後、そして幕間には「Knee Play」という”関節”の役割を果たすパートが入ります。
休憩なしで4時間半(!)の長さがあるので、これまで数回しか完全な形で再演されたことがないらしい…。2021年現在、最長のオペラだそうですよ。

先ほど「SFにはさまざまジャンルがある」と言いましたが、もし「SF音楽」というものがあるとすれば、フィリップ・グラスさんはその代表と言ってもいいくらい、彼の音楽には「SFっぽさ」を感じます。
特にこのオペラのエンディングとなる「Knee Play 5」を聴いたとき、社長の中のSFと完全に符合した気がいたしました。

ニューヨークのThe Green Spaceで行われたライブの様子(2012)

フィリップ・グラスさんは『コヤニスカッティ』など、SFっぽい映画の音楽を担当していますし、電子オルガンなどのSFっぽい楽器を使った作品も多いですが、社長がSFっぽさを感じるのはそこではないのです。
言葉にするのが難しいんですが、数学や物理学や原子力といったものを、あくまでも人間の身体を通じて表現しようとしているところでしょうか。

先ほどご紹介した小川哲さんのテキストに、”なぜSF作家は未来を予測できないのか?それはSF作家自身も、未来を作り上げていく主体も人間だからだ”という意味合いの言葉があります。
「Knee Play 5」は、数字をカウントする声とともに、2人の女性が断片的な言葉を発し続けた後、男性が高らかに、とあるお話を始めます。

煩悩と困惑に満ちた一日が終わり、夜がやってきました。夜は平和で穏やかな時間であり、リラックスして落ち着ける時間であるべきです。私たちは、一日の不穏な考えを追い払い、悩んでいる心を落ち着かせ、荒れた精神を安らかにするために、心を癒す物語を必要としています。
さて、どんなお話を聞きましょうか?ああ、それはおなじみの物語、とてもとても古くて、でもとても新しい物語です。それは古い、古い愛の物語です。

そして、公園のベンチで愛の言葉を交わすカップルの他愛の無いお話が続くのですが、このありふれた、まさに”とても古くて、とても新しい”お話こそが、SFだよな〜と思うわけです。
これは1000年後のカップルかもしれないし、1000年前かもしれない。もしかしたら火星にある公園のベンチかもしれないし、原爆投下の前夜の、広島の公園かもしれない。アインシュタインの両親かもしれないし、自分のかもしれない。それまではっきりとしたストーリーがないオペラであるがゆえに、観客はそれぞれの「仮のストーリー」を思い描いて、それぞれ違った想いを持つことができます。

社長にとってのSFは、もちろん未来を予言するものではありません。それぞれの作品で設定された「仮のストーリー」の中で、人間(もしくはそれに類する主体)が、どう振る舞い、何を感じるのかを描いたものです。
SFから危機的な状況を打開する具体的な解決策は見つからないかもしれないけれど、「その時、私たちはどう行動するのか」というヒントにはなるかもしれません。

何だか抽象的な話になってしまいましたが、結論としてはSF面白いよ!想像以上にいろんな種類があって沼だぞ!と言いたかったのですよ。みなさまもぜひ。
SFについては語り尽くせないので、今後も懲りずに取り上げるかもしれません。
それではまた次回…!

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