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【息ぬき音楽エッセイvol.13】Kate Bushとあなたとわたし by 村松社長

みなさまこんにちは。カロワークスの村松社長です。
まだ5月というのに、梅雨来るの早すぎ。梅雨明けはいつ頃になるのやら…と思い気象庁のウェブサイトを見てみたら、昨年の梅雨明けって8月1日だったんですね!先が長い……。

梅雨のジメジメに加え昨今のニュースを見ると、某ウィルスをはじめ気が滅入ることばかりではありますが、本日はそんなジメジメに効く(?)曲のお話。
それはそうと、今回のタイトル「部屋とYシャツと私」みたいになっちゃってすみません。

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さて前回の記事をきっかけに、社長の中で「カバー曲」なるものが再燃しております。
数あるカバー曲の中で、今回取り上げる元曲はこちら。

Kate Bush 「Running Up That Hill」1985

彼女独特のダンスも含め、最高of最高ですね。
ケイト・ブッシュさんは何を隠そう、かつて髪型を真似ようとフワフワパーマをかけたことがあるくらい、社長にとって憧れの存在なのです。

この曲、たくさんの方にカバーされているのですが、一番有名なのはPlaceboバージョンでしょうか。

Placebo「Running Up That Hill」2003


そして今回この曲に注目するきっかけになったGeorgiaバージョン。

Georgia「Running Up That Hill」2020


元曲は1985年ですが、Georgiaバージョンは昨年ですし、他にもChromaticsやMeg Myersなど、現代のミュージシャンがたくさんのカバーを発表しています。
どのくらいカバーされているのか気になったので、Spotifyでプレイリストを作ってみましたよ。

https://open.spotify.com/playlist/3rycZIFmwMC0hn8hhS73TJ?si=596d9a09fb364bd8

Spotifyをお使いの方はちょっと覗いてみて欲しいのですが、251曲・19時間43分あります。しかもありすぎて途中で挫折したので、実際はもっとあります。笑

たしかにいい曲だけど、ビートルズじゃあるまいし、なぜこんなにもたくさんの、しかも現代のミュージシャンにカバーされるのか?
理由をいろいろと考察してみました。
まず曲調がエモーショナルで、リズムもエレクトロと相性が良いという点が考えられます(実際、クラブミックス的なカバーが多い)。

もう一つ超重要なのが、歌詞だと思うんですよね。
ということで、改めて歌詞を引用します。

It doesn’t hurt me
Do you want to feel how it feels?
Do you want to know that it doesn’t hurt me?
Do you want to hear about the deal that I’m making?

You
It’s you and me

And if I only could
I’d make a deal with God
And I’d get him to swap our places
Be running up that road
Be running up that hill
Be running up that building

You don’t want to hurt me
But see how deep the bullet lies
Unaware I’m tearing you asunder
There is thunder in our hearts
Is there so much hate for the ones we love?
Tell me, we both matter, don’t we?

You
It’s you and me
It’s you and me, won’t be unhappy

ざっくり要約しますと、”お互い傷つけたくないのに傷つけあって、憎しみ合ってしまっている。神様と取引をしてお互いの立場を交換したら、あの坂道だって、丘だってビルだって駆け上がれる(=壁を乗り越えて理解できる)のに” みたいな意味でしょうか。
そして「これはあなたと私の問題である」ということを強調しているのがお分かりになるかと思います。

ケイト・ブッシュさんは当時ラジオや雑誌のインタビューで、この曲は愛し合う男女の間に生まれる誤解や無理解について歌ったもので、もしお互いの役割を交換できたらそれぞれの視点で物事をみられるようになって、より大きな相互理解につながると考えた、と語っています。

ご本人は男女の恋愛をテーマとして作られたようですが、いま歌詞を読むといろいろなことに当てはまると思いませんか?
例えば世界で深刻な問題となっている人種差別やジェンダー格差、LGBTQ、頻発する紛争など、どんなに大きな社会問題にも、「自分」と「相手」の間にある誤解や無理解が悪影響を及ぼしているのではないか、と社長は思うのです。
別の言葉を使えば、あらゆる物事の最小単位は「あなた」と「わたし」である、とでも言いましょうか。

こんなことを考えながら、先ほどご紹介したPlaceboバージョンのPVを見ると、だいぶ見え方が変わりますよ。
PVではさまざまな人種の男女が登場しますし、どれもセルフィーっぽい映像なのが現代の「自己」と「他者」の意味を考えさせられます。
ちなみにフロントマンのブライアン・モルコさんがバイセクシャルであることを考えると、さらに意味が重層的になりますね。

つまり、「Running Up That Hill」は一見とても個人的な問題を扱っているように作られているからこそ、時代に合わせた解釈が可能になっているのではないか、ということです。

この曲についていろいろと考えていると、「個人的なことは政治的なこと(The personal is political)」という言葉を思い出しました。これは”1960年代以降のアメリカにおける学生運動および第2波フェミニズム運動におけるスローガンで、個人的な経験とそれより大きな社会および政治構造との関係を明らかにしようとする言葉”(wikipediaより抜粋)ですが、フェミニズム以外の文脈でも言えることなのかもしれません。

ジメジメを吹き飛ばす爽やかなお話がしたかったのですが、ちょっと重い話題になっちゃいました。
早く梅雨明けして、丘を駆け上がりたくなるようなお天気になりますように…。それではまた次回!

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