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小説「人間革命1巻」③~終戦前後・占領~

 今回の章の「終戦前後」と「占領」は、歴史背景が比較的多い。人によっては、人間革命読了を挫折してしまう関門であろう。
 「終戦前後」では、歴史的な部分には触れず、その隙間にある著者池田大作先生の声に耳を傾けていきたいと思う。
 「占領」では、戸田先生が仏法者として、現実世界をどのように捉えていたのかについて触れていきたい。


新・人間革命から見る執筆背景

 まず、今回は人間革命1巻の執筆当時のことが記載されている、新・人間革命9巻「衆望」をみていきたい。
 人間革命1巻の執筆の開始は、1964年12月2日である。この年の11月17日に「公明党」が結党している。
 新・人間革命9巻「衆望」には、この結党の様子と人間革命1巻執筆開始の様子が同章で描かれている。
 「衆望」という意味は「大衆が待ち望んでいた」との意味であろう。

公明党の結成―それはすべての学会員の念願であったと言ってよい。

新・人間革命9巻「衆望」p.358

法悟空のペンネームで、伸一がつづる、この『人間革命』は、聖教新聞からの強い要請もあって、明六五年(昭和四十年)の元日付から、聖教紙上に連載されることになる。

新・人間革命9巻「衆望」p.386

 公明党の結党は衆望であった。そして、人間革命の執筆も衆望であった。

 「公明党結党」は「創価学会における政界への本格的な闘争のスタート」である。この6年後には、言論出版問題などに巻き込まれていく。
 「人間革命の執筆開始」は「創価の精神を書き残すという本格的な言論戦のスタート」である。ここから約50年にわたる創価学会の精神の正史を残す戦いが始まる。
 結局ところ、これは「創価学会の本格的な『立正安国』へ戦いのスタート」と呼べるのではないだろうか。

 立正安国とは、「正を立てて国を安んず」であり、「仏法の正法を立てて、国を安泰にしていく」という意味である。すなわち「人間革命執筆」は「立正」、「公明党結党」は「安国」に当たると考えられる。
 実際、この翌1965年は、戸田先生の七回忌に当たり、この年から300万世帯の折伏をスタートさせるのである。

 当時、聖教新聞で掲載されていた人間革命には、連載小説の意味だけではなく、会員に対するメッセージの意味も含まれていると考えると当然、そこには、政治に対する想いや公明党への期待が含まれているはずである。
 本章の「終戦前後」は、その思いや期待が刻まれていると考えられる。
また「日本の宿命」「信仰者の在り方」についても、著者のメッセージをここでは見ていく。

政治への想い

今にして思えば、既に米ソの対立は、この時から兆し始めていた。彼らは、戦後の世界に君臨することを考えていたのであろうか。それは、言うまでもなく、大国の横暴というものである。人間は、権力の絶頂に上ると、皆、暴君的な一面をもつのと同じように、大国になればなるほど、いよいよ暴君的な色彩を増す。

人間革命1巻「終戦前後」p.105

 前述の内容を踏まえれば、「人間は、権力の絶頂に上ると、皆、暴君的な一面をもつ」は、政界への本格的な門出の中での戒めであると考えられる。

むろん、いつの時代でも、最高指導部による外交が大切なことは、言うまでもない。しかし、一切の基盤となるのは、民間人と民間人との交流であり、人間と人間の信頼の絆である。いわば鉄の鎖のように強い、心の結びつきであるこの民衆次元の幾重もの交流こそが、平和の大河となるのである。

人間革命1巻「終戦前後」p.106

 創価学会は、仏法思想の拡大のみが、平和を達成できるとは考えていない。人と人との交流こそが平和への道であると説く。それは創価学会において、政治世界では公明党であり、教育分野では創価学園や創価大学、文化・芸術分野では東洋哲学研究所や民主音楽協会である。そして、創価学会という中で培われた人と、人との様々な交流こそが平和へつながる外交なのである。

戦時には、外交交渉の当事者が戦争の渦中にある。和平工作の糸口を見出すためにも、民間の自然な結びつきが大事になる。

人間革命1巻「終戦前後」p.106

 戦時においては、尚更、政治の枠ではない民間の外交が要である。
 事実、本年の3月30日、公明党の石川ひろたか参院議員がロシアからの侵攻を受けるウクライナに在住の娘と孫の国外避難や日本渡航への支援を行った。

(ネリーさん夫妻)侵略から1カ月がたとうとしていた3月23日、隣人の公明党支持者に「娘と孫を日本に呼び寄せたいけど、無事に来られるか……」と不安を口にした。その支持者は市議会公明党の野田泰弘議員に連絡。野田議員はすぐに外務省出身でもある石川氏へとつないだ。

2022年4月2日公明新聞

 公明党支持者とネリー夫妻の日ごろからの自然な結びつきが、一家族を救ったのである。

 さらに、政治の世界かつ指導者層においては、以下のことを明確に書かれている。個人的には、最も重要な点ではないかと思う。

いつの時代にあっても、指導者階層は、常に冷徹な理性をもって、民衆の幸福と平和への方向の分析を怠ってはなるまい。その決断に臨んでは、大感情を集中し、それぞれ命をかけて事に臨むべきであろう。民衆の利益を根本とした思索であれば、衆議も速やかに決しなければならないはずだ。

人間革命1巻「終戦前後」p.109

 ここで重要なのは、単なる「民衆の幸福と平和への方向の分析」ではない。「常に冷徹な理性」を持つことと、書かれていることが重要である。時には、政策内容においては、大衆の理解を得れない場合もある。また、それは時を経なければ分からないこともある。どうしても一部の人たちは置き去りにしなければならない場合もある。しかし、この中で、民衆にとって、平和への方向を導き出さなければならない。そのためには、「冷徹な理性」が必要だという。
 そして、やると決めたら、とことん命をかけてやるべきであると言われている。 ここに「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆とともに死んでいく」の立党精神があると感じる。

日本の宿命

 七百年前の蒙古襲来の際、日本は、攻撃武器としての火薬の洗礼を受けた。そして、今、原爆という人類史を画する破滅的な兵器の惨禍を被ったのは、日本が世界で最初となった
 この不運な宿命に思いをいたすならば、日本こそが、戦争のない平和な世界を、一日も早く現出しなければなるまい。われわれは、その崇高な使命を持つ一員であることを、強く自覚したいものだ。戦争だけは、今後永久に断じて起こしてはならないのである。

人間革命1巻「終戦前後」p.114

 日本は平和な国である、という認識は強いが、実は「テロ先進国」とも言えるだろう。
 戦後において、飛行機をハイジャックする方法を世界に知らしめたのは、「よど号ハイジャック事件」(1970年)、自爆テロのような自分を犠牲にして大きな被害を与えたのが、日本赤軍の「テルアビブ航空乱射事件」(1972年)と挙げられる。平成に入ってからは、世界で初めて一般市民に向けた化学兵器テロが、オウム真理教の「松本サリン事件」(1994年)、人ごみに車で突っ込んだ「秋葉原通り魔事件」(2008年)が挙げられる。
 ともすると日本は、このような宿命を持っているのかもしれない。

事ここに至っては、後から何を言っても無意味である。だが、あえて言えば、それまでにも戦争終結の機会はあったが、軍部の暴走を抑え、和平への大英断を下すことができる指導者がいなかったのである。

人間革命1巻「終戦前後」p.119

 現在において、連立与党である公明党が、大きなストッパー役になっていることは確かである。そして、時にはそれが大英断になることもあるのを忘れてはいけない。

 ところで、日本は農村民族の影響があるせいか、同調圧力に弱く、性善説的な思考を持っていると、私は思う。
 性善説的な思考とは「自分の言っていることは正しい、故にみんなも同じように正しいと思っている」といった考えである。逆に、性悪説的では、「自分には悪が潜んでいるから必ずしも正しいわけではない」と言った思考から出発する。この性善説的な思考は、見えないところに潜んでおり、非常に厄介で、反知性となりやすい。(私自身もこの傾向は非常にあり陥りやすいと認識している。)そして、そこに同調圧力も上乗せされることで、サイレントマジョリティーを産んでいく。よって、誰かの発言が全員の総意となってしまうことが現代においてもよくあり、後で振り返ったときに何故このようなことになってしまったのかが分からない時がある。
 このようなことに陥らないためにも、個人的な対処法として、「読書」が最良であると思っている。他者の気持ちを直接聞き取ることや、他の人の体験を行うことはできない。しかし、本からの代理体験から知ることができる。そして、客観視することと、そのような考えがあることを認識できる。ただし、これには、読了後にどこまで、自分の中に引き寄せるかで、その読書が意味のあるものになるか、それとも趣味で終わってしまうのかが、決まって来ると思っている。

十五日夜、灯火管制は、解除になってはいなかった。だが、家々は、灯火をつけ始めていた。誰も、心からの平和の喜びが、湧くはずもなかった。終戦とはいえ、あまりにも犠牲が大きすぎた。
 この日を境として、国民の一人ひとりの心のなかで、次の戦いが始まったのである。まず、一切の権威に対する不信が宿った。ある人は、宿命論者に早変わりした。ある人は、信念に殉ずることを考えた。

人間革命1巻「終戦前後」p.130

 第二次世界大戦における日本の戦死者は、ロシア(1450万人)、ドイツ(285万人)に次いで、日本で約230万人と言われている(タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図 )。確かに犠牲者は多かった。しかし、ここの「犠牲」は単なる人数だけではないと思う。精神的な犠牲もあったのではないかと思う。
 戦時中は日本全体として国家神道を信じていた―信じざるを得なかったのかもしれない―。しかし、日本が敗戦となり、国家神道に裏切られたと気づかされ、信じていたものに裏切られたという喪失感が蔓延していたのだと思う。そして、それが人によっては新しい何かを信じようとし始めていった。時には無神論、時には資本、という宗教を信じることになっていったのではないだろうか。

信仰者とは

確かに人間は、自らの主義主張のためには、死ぬことさえできる動物だ。
人間から思想を取ってしまえば、根無し草のような肉体が、はかなく生存を続けるにすぎない。
だが、思想ほど恐ろしいものはない。一片の思想が、人びとを死に追いやることもある。思想は、いわば魔力を備えているのかもしれない。
しかも、さらに恐るべきことは、人びとは、自己の人生をかけた思想の正邪、善悪、浅深について、あまりにも無関心でありすぎた。今、戦争の指導理念に仕立てられた国家神道は、その無力を余すところなく露呈して、ついに悲惨な結末をもたらしてしまったのである。

人間革命1巻「終戦前後」p.133

 「信じる」とは「生きる」ことに通じ、人は信じなければ、食べ物を食べることも、生活を営むこともできない。だからこそ、人間は物事をフラットに見ることはできない。必ずその人の生まれた環境、性格、思想などで偏りが必ず起き、人によってはその偏りに気づかず、自分は平等に物事を見れていると信じている。そして、その信じたものしか見えなくなり、他者へ影響を与えだす時、反知性主義者へと変貌するのだと思う。それは最悪の場合、他人を死に追いやることも、自分が死ぬことも厭わなくなる。
 ここでは、そういう思想の正邪や善悪、浅深があり、そして自分自身はどれかを基準として信じているということを知っておくべきだと、指摘している。


創価学会における信仰者の在り方

 次に、「占領」の章では、仏法者としての戸田城聖を通して、現実世界をどのように捉えていたかを見ていきたい。

”マッカーサーという人物は、何者であろうか。この法理から見れば、梵天の働きをなす人、これがマッカーサーに当てはまる。それならば、彼は、将来の日本民族にとって、とりわけ正法護持の人々にとって、マイナスをもたらす人ではない。なんらかのプラスをもたらす人であるはずだ”

人間革命1巻「占領」p.161

戸田城聖が、マッカーサーと会見する機会などは、全くなかった。マッカーサーも、当時、戸田城聖の名前など知る由もなかった。
けれども戸田は、自身の心に影を落としたダグラス・マッカーサーに、不思議な親近感を覚えていた。それは、仏法の法理に照らして、戸田が、マッカーサーの歴史的な役割を、正確に見ていたからであろう。だが、むろん戸田を除いて、そのことは誰一人として気づくべくもなかった。
 戸田は、そのような不思議な人物に占領された、日本の運命に思いをいたした。

人間革命1巻「占領」p.186

マッカーサーという人物に対して、戸田は、法華経の行者を守護する梵天と捉える。信仰を持つものは、世界を自身の信仰を通してみる。また、そのように捉えられないのであれば、本来の信仰とは言えないだろう。

困難というものは、自分がつくるものだ。それを乗り越えていくのも、ほかならぬ自分だ。困難を避ける弱虫に、何ができる!そんな弱虫は戸田の正学館にはいないはずだ。

人間革命1巻「占領」p.169

みんなの心が一つになれば、必ず事は成就する。計画したことが全部は出来なかったとしても、必ず思いもかけぬ新しい道を、そこに開かれていくものだ。これが、大聖人様の仏法を信ずる者の強さであり、ありがたさだ。心配ない。断固として、やろうじゃないか

人間革命1巻「占領」p.170

 仏教は自分自身の心、すなわち生命を主とする。それは心ひとつでその状況を打破することもできる。また、逆に弱気になれば、勝てる戦いも敗北をたどることもある。外から与えられ、運命的に定められていく宗教とは異なるのである。

信教の自由は、宗教がいかなる政治権力の拘束も庇護も受けてはならないと規定されて、初めて完璧なものとなる。宗教そのものの勝劣、浅深は、宗教の広場で決められるべきであって、そこに、いささかも権力が介入してはならない。真の力のある宗教は、信教の自由を欲し、力のない宗教は、権力と結託しようとする。
 広宣流布は、信教の完全な自由のもとでなければ、達成は困難である―戸田は、かねてから、そう考えていた。

人間革命1巻「占領」p.180

「宗教の広場できめられるべき」との部分では、人間革命8巻にて、宗教学者に語る宗教実験について思い出す。

あまり宗教というものに偏らない人が、三十人なり五十人なりで宗教批判会をつくるんです。そうして、ちょうど農事試験場でいろいろなものを実験するようにですね、各宗派から百軒なら百軒をあげて、生活の実態調査をしてもらう。そうして一年目に、その百軒はどうなったか、二年目はどうなたか、こうしえ十年も調査してもらえばわかることです。(中略)実験証明をしてみれば、一目瞭然です。

人間革命8巻「多事」p.328

 まさに、宗教の広場での実験を行えば、その浅深は一目瞭然である。「真の力のある宗教は、信教の自由を欲し」とは、このような自由な中でこそその力を発揮し、また多様な考えを受け入れていけるだけの柔軟性があると言えるのではないか、と思う。

一方、「力のない宗教は、権力と結託しようとする」とある。ふと、アンチ的な立場からすれば、「創価学会も公明党を作り権力を欲しようとしているではないか」と言われそうな箇所である。しかし、一度立ち止まってほしい。それであるならば、既存の政党に頼る方が100%簡単である。わざわざ、政党をつくる費用や時間、労力は必要ない。また、非難を浴びることもないだろう。けれど、創価学会は敢えて、困難な道を選んだと言える。それは公明党の結党に限ったことではない。教育機関の設立においても同様である。この困難な道をわざわざ歩もうとするからこそ、真の力のある宗教なのだ。これを避けて通り、名聞名利に縋るのが、力のない宗教と言えるだろう。

「今度こそ、自由なんだ。本当に時が来た。今こそ、なすべきことをなさねばならぬ。必ずや、日本の不幸な民衆は救われるのだ。いな絶対に救わねばならぬ」彼は、心に呟き続けた。わが身の自由は、そのまま広宣流布への宗教活動の自由に通じる。自身の残された生涯が、そのためにあることを、彼は深く自覚していた。握りしめた手は、いつしか、じっとりと汗ばでいた。

人間革命1巻「占領」p.181

 戸田自身が獄中で悟りを得て、それを出獄後、家の御本尊を確認することで確信をする。そして、実際に自由の身になり、本格的な広宣流布の第一歩が歩めるようになったという、現証を目の当たりにして、さらに確信を深め、誓いを深くしていく場面である。
 日本が戦後という動乱の中で、国中の人は虚無感や不安感に襲われていたに違いない。しかし、日本において、一つの希望を見出していたのは、戸田城聖ただ一人だけだったのかもしれない。

 真の信仰者とは、現実の世界の中で、教理経文に照らし合わせながら、常に前を向き続ける者なのだと改めて実感する。

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