小説「人間革命1巻」⑤~千里の道~
人間革命1巻の「黎明」では、戸田先生が出獄され自分が獄中で悟った悟りを確認され、「再建」では戸田先生の現実世界での現状認識をされる。「終戦前後」では日本における終戦手前から戦後において主とし、「占領」では終戦後の対応で人々の現実にどのように影響を与えたかを記している。「一人立つ」では戸田先生自身が今まで思索し決意されてきたことを牧口先生の前で言葉にし宣言され、そして、本章の「千里の道」では、実際の創価学会の活動へと進んでいくのである。
思想研究の原点
本章の最初では、当時の日本の食糧状況に触れながら、諸天善神について戸田自身が考察しつつ、牧口の神の考察に触れる。そして、日本における国家神道について記載が進んでいく。
創価学会の思想探求は、自分たちの宗教のみならず広範囲にわたる。それは、近年の取り組みではなく、牧口の時代から行われていたことが伺える。そもそも、日蓮仏法には、思想の浅深を明らかにし、民衆に正しい思想の種を植えていこうという魂が、信仰の中に含まれている。それは、日蓮大聖人も日本国中にある宗派の探求を行い、法華経こそが末法の人々を救う方法であると見つけ、時の執権に「立正安国論」を提出することで思想を正そうとした。御書を見ると、他宗への批判も多くあり、国内の思想を正邪を正していこうとの想いを見ることが出来る。一方で、信心を求めている民衆や門下に対しては、様々なたとえを通し分かりやすく教え説いている。その例えは、自身の宗派の域を超えて、歴史や自然科学など万波にわたる。日蓮仏法における思想探求や研鑽、すなわち「学」は、正邪を正す破邪顕正の「剣」となりながらも、その心には民衆を守るという「盾」という役割があると見える。
「生まれながらにして善か悪か」と捉えるのが西洋の哲学観であるが、仏法の生命観では「生命は常に善悪を共に兼ね備えている」と捉える。
敵国であったアメリカは、日本の探求をし続けてきていた。それは、日本の本質、内在的論理を的確に見極めていた。あくまで筆者の主観だが、日本人は、他に対する内在的論理を見極めることの重要性の欠如が比較的強いのではないかと思われる。それは教育の中においても「自分の嫌なことは人にするな」というのにも表れているのではないかと思う。あくまで主観的であり、本当に相手が嫌なことなのかは実際は分からない。すなわち、善的な感覚が強く、自分の考えていることは皆も同じように考えているという傾向性が強い民族なのではないかと思う。
そして、本章はp.248から国家神道について記載され始める。
現代では、ご法度である「政教一致」がなんなく行われてしまっていた。具体的には以下のように記載されている。
日本は法治国家である。それは当時も同様であったはずだ。しかし、神道だけは特別扱いであった。そして、それは習慣であるとし始めることで、人の信じるという本然的に持っている性質を使い、大衆を先導するのであった。
政府の対応に、異をとなえ始める団体はあったが、政府は明確な回答を出せなかった。しかし、それでも進んでいくのである。また迎合するもの多かったという。日本基督教団もまた日本にあるキリスト教を政府要請によってまとめあげられた団体となってしまった。ここに、当時の日本の未熟な民主主義があったのではないかと思う。
前々章のp.180「占領」の中にある「力のない宗教は権力と結託しようとする」とは、まさにこの部分である。
日蓮大聖人の精神を捻じ曲げていく団体も現れる。先ほど、「日蓮仏法のには思想の浅深を見出そうとする魂がある」と書いた。しかし、ここでは真反対のことが起き、大聖人の認識を歪曲させている。認識の歪曲は、経典などの文章をかいつまんで、エイヤ!っとやってしまえば意図も簡単なことである。要するに、問題は「誰の解釈を信じるか」ーなのではないかと改めて感じることができる。新人間革命6巻「宝土」の章には、その点について山本伸一が以下のように語っている。
今後、創価学会が未来永劫に続いていくとすれば、三代の会長の意思とは反した曲解を示す人たちも出るだろう。実際、現代においてもTwitter上を見ればそのようなことは散見する。しかし、明確なエビデンスがない。また仮にエビデンスがあったとしても、当時の時代背景等の検討が足りず、その場や時代においてを見極めようとはせず、結果認識のままで発信を行う。だからこそ、我々の世代において、最も根幹とすべき日蓮大聖人の御書、創価学会の精神の正史である人間革命、新人間革命を虚心坦懐に読んでいくことが何よりも重要であり、それを体現し明言できるだけの行動と言論が重要なのだ。
この部分について、近年の研究の中では、創価教育学会も実質的には政府に反対をしていなかったのではないか、との議論がなされている。これに関して、創学研究所所長の松岡幹夫氏は「創価学会の思想的研究<上巻>」ではこのような論文を出している。
当時また現代においても、創価学会は大きなデモ行動などは起こさない。それは、真の日蓮仏法に基づき、「調和的非暴力」を貫く。そもそも非暴力には、大きく二つある。それは「対立的」か「調和的」である。「対立的」とは、反対を大きな声で叫びながら相手と戦う。時には暴力的な行動も辞さない構えである。一方、「調和的」とは、対話が含まれ相手の意をつかみながら、自身の主張を貫いていく方法である。これは厚い壁を壊すのではなく、壁の向こう側に見方をつくる戦いといえよう。牧口先生、戸田先生の戦時中、そして獄中ではまさに、調和的非暴力での反戦であったといえる。
神がかり的な全体主義、すなわち、神を利用したファシズムであったということだ。ヒトラー率いるナチスは、労働者階級のホワイトカラーを先導していった。「このまま資本主義が進めば、あなたたちの生活が脅かされる。そしてそれはユダヤ人のせいでもある」と。ホワイトカラーの彼らは、ある程度の生活はできるが、一つ踏み間違えれば自身の生活を脅かされるかもしれないという階級の人たちである。すなわち、中間層を巻き込んだ全体主義を起こしていった。日本にはおいては、国家神道という宗教を使っての全体主義としていったという点で大きく異なる。この点において、日本における思想、またそれに伴う信念の脆さが見える。
「何のための宗教なのか」これに誰も気づかなかったのだろうか、とふと思うが、それにも気づかないほどに民衆は扇動されていたのだろう。
「悲惨の二字を無くしたい」これは、創価学会における永遠のテーマである。この悲惨を無くすために、何と戦っていたのか。それは「無知」であった。広宣流布とは、この「無知」から民衆を目覚めさせることにほかならないだろう。その精神は、当然のことながら私たちにも含まれ、我々の政治活動においても同様である。
大きな一歩
創価学会の再建に向けて、実質的に行動し始める。だがそれは「法華経講義」という一見、小さな一歩であった。広宣流布を進めるという観点からすれば会員を増大させることの方を優先すべきではなかったのかと思う。実際、牧口門下の人たちをかき集めるなどの行動もとれたはずである。また、宣伝し呼びかけることもできたのではないか。しかし、戸田はそうは考えない。今いる目の前の現実からスタートしようとしたのである。まずは着実な一歩を踏むことにしたのだ。
法華経の研鑽を終え、ここで初めて、経済グループの4人は戸田の凄さを知る。当然のことではあるが、これを獄中闘争があったからこそ体得しえたのである。
ここにおいても、目の前の人を励ますのである。そして、共に広宣流布を進める同志となるように諭しているのである。
この瞬間、瞬間という連続の中にあると、戸田自身が悟っていたからこそ、法華経講義という小さくとも大きな一歩を進めたのである。
大事なことは続けていくことである。常に勝ち続けることである。一時代の栄華を誇っていても、その次の世代で廃れていってしまっては無意味
になってしまう。まさに「建設は死闘、破壊は一瞬」なのである。この一歩一歩歩みを進めていくことを絶対に忘れてはならない。
近年の創価学会の活動は、時に選挙、選挙、選挙のようにみえる。その一つ一つを立てた目標に対して勝ち超えていかなければならない。しかし、その一つ一つで勝ったとしても、組織を含め自分自身の信心が強固になり、そして組織が発展していかなければ、選挙家と同じなのではないかと思う。
この点について改め見つめなおしながらも、常に上昇しつづけていける自分自身でありたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?