【依頼小説 神も知りえぬ人という物語】

#ルキ #小説 #人 #神 #天啓

【人の人生とは一冊の小説である。もうこの章で綴じてしまうのか?】

俺、ルキ(25)が人生という物語に嫌気がさして、25章の物語を綴じようと、ビルの屋上に立った時、聞こえた天啓がこれだ。

今回俺に聞こえた天啓のように、

【人の一生は、一冊の本である。どんな物語にするかは自分次第だ】

とどこかの偉い本も語っている。

しかし、俺はその説にどうにも納得がいかなかった。なぜならば、家庭環境、就職できない事への焦り、過去のトラウマや病気、数々の障がいとの闘い。こんなもの、俺が望んで描いて書いた物語ではないからだ。仮に自分が主人公であり、自分次第で人生が変えれるものならば、とうの昔にこんな人生変えている。現実はそんな甘くない。所詮きれいごとだ。正直なところ、そう思っていた。だが、かと言って、

【人生は神のみぞ知る】

この言葉も俺は嫌いだった。こんな受動的な生き方があるか。神のみぞ知るから、人は抗う事を諦める。そんな生き方は嫌だった。結論から言えば、俺は今、26歳。つまり、25章で綴じることをやめ、生き延びた。理由は単純で、神らしき声の煽り文句がなんとなく癪だったからだ。そして、なるほど、綴じる選択肢もあった中、物語を書き進めたのは誰でもない自分だった、という事に気づいたのだ。その瞬間、考え方が変わった。よく考えてみれば、たいていの人気の出る小説の主人公はどんな人生か。ごくごく平坦なハッピーエンドより、序章で苦悩を経て、一章、二章と悩み、大切な人との出会いを果たし、そして最終章で苦難を乗り越えハッピーエンドの方がはるかに読み応えのある小説になるのではないか。そう考えれば、これは人生という物語を描くにあたり、最初から神に仕込まれた序章だったと思うこともできる。この序章の続きを書くのは俺だ。

書き始めたのは神でも、この小説のフィナーレの結末は、神ですら知らない。

俺という小説のタイトルは、

【神も知りえぬ人という物語】




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