タイムマシンは…
今日1月15日は,僕の中では「成人の日」であり「共通一次試験の日」だった。
僕が共通一次試験を受けたのは1983年1月15日と16日の二日間。
当時,受験会場から遠く離れた田舎に住んでいた僕は,1月14日と15日の二日間,受験会場近くにある親戚の家に泊まらせてもらってそこから徒歩で会場へ行った。
昔から1月15日は「雪」というイメージを持っているけれど,その日はお天気だったと記憶している。受験科目は,一日目が国語,数学,社会。二日目が理科,外国語。
受験後に自己採点を行い,希望校の二次試験に挑んだ。結果は合格。
この頃まだ僕は,親の思い通りの人生を歩んでいた。高校も大学も親の希望通り。「志」の意味も知らず,当然,志を持って何かをするという意識を持たずに生きていた。
40年前の今日の今の時間,僕はちょうど一日目の試験を終え,親戚の家へ帰って,晩ご飯を頂いていた頃…だと思う。メニューはハンバーグだったか…な。
ふと,もしタイムマシンに乗れたら,そして40年前の今日の僕に会いに行けるとしたら,僕は僕に何と声をかけるだろう。そんなことを考えてみたものの,タイムマシンなんてない。でも,もしあったら…。今日の僕に会えたら。
よく,時代を遡って過去の自分に会って何かを話したために,その時点から先の流れが変わってしまうという物語がある。
僕が僕に会ったことで自分の人生が変わるかどうかは知らないが,過去の自分に話したいことなど僕にはない。
「大学に合格するけど留年する」とか「こんな女性と付き合うけどやめておいた方がいい」とか。「離婚するから最初の結婚はするな」とか「再婚するけど…幸せじゃない」なんて話してみたところで,昔の僕が例え未来の僕と言えども,他人の言うことを真に受けるはずがない。考えるまでもなく,そんな自分のことは、今の自分が一番よく分かっている。
それよりも僕は今日の幸せが大切だ。
今日も「ニーバーの平安の祈り」を唱える。
僕が僕に聞かせるのはこれが一番良い。
「お与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。
変えられるものは変えていく勇気を。
そして二つのものを見分ける賢さを。」
タイムマシンは…僕には必要ない。
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