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初めてのひとり旅。たどり着いた感情。



人生で「ひとり旅に行ってみたい」と思ったことは10回以上あると思う。でも毎回空想だけして、断念に終わっていた。

旅行自体は好きな方で、国内外問わず暇さえあれば友達や彼氏と連休を駆使して行っている。

学生の時も、バイト代を貯めては服と旅行に使う自転車操業をこなしていた。

社会人になったら数ヶ月単位の休みが難しくなることは予想できたので、閑散期の比較的安い時期にヨーロッパなどちょっと無理をしてでも遠いところへ行っていたのは我ながらグッジョブな選択だった。


社会人になって仕事を始めると、旅行が好きというより欠かせないものになっていった。

日々、膨大なやるべきことに追われる日常から物理的な距離を持って離れることは私にとって一種の防衛本能がはたらいているようなものだった。


そんな私だが、ひとり旅だけはなかなか踏み出せなかった。踏み出せなかった理由ナンバーワンは「本当に1人で楽しめるの?」だ。

特に1番の問題はご飯だった。

私は人より食い意地が張っているので、「旅の醍醐味=その土地の美味しいご飯」になるのだけれど、ひとりでご飯を心から楽しめる自信がなかった。

わたしにとってご飯を食べにお店に入るというのは、他人のお家にお邪魔するような感覚に近いのだと思う。

なにかそのお店の細かいルールなどがあるかもしれない。1人で行っても歓迎されないかも。などの細かいことがうっすら頭によぎってしまう。

チェーン店や行き慣れた店はその点、ルールが明確に分かりきっているので安心だった。

ぐだぐだ言ったけれど、要するに私がただのチキンってこと。

「今のところ一緒に旅に行ってくれる人は何人かいるし、わざわざ1人で行かなくたっていっか」がひとり旅に対する毎度わたしの結論だった。


そんな私が3連休のど真ん中。ひとり旅を決意する。

気づいたら、電車に乗っていたのでざっくりとそれまでの経緯を思い出してみる。


私が旅に出る前日のこと。どこからともなくやってくる「遠くへ行きたい欲」がふつふつと湧いてきて渦巻いていたので同居中の彼氏に「バイクで2人乗りしてどこか田舎の方へ行こう」としつこく提案していた。

彼氏が大型のバイクを持っており、それに乗せてもらって弾丸旅へ行くのが私たちのお決まりだった。

バイクの後部座席に乗って、街並みの移ろいを見ながら風を感じるのが心地よくてなによりも大好きだった。

でも今回は、「バイクのウィンカーが壊れてるからダメ」と言われてしまい泣く泣く断念。車で行くのも考えたが、せっかくのお天気。バイクで行きたかった。

翌日になっても私の「遠くへ行きたい欲」は消えることなく、むしろ膨れ上がっていった。

彼氏は予定があって留守だったので私はついにひとり旅を決行することにした。


さて、どこに行こう。

私が住んでいる東京から片道1時間くらいで行ける場所で、行ったことのない場所……と数分考えてすぐ「川越に行ってみよう」と決めた。

川越については、正直「古民家が連なっている街」くらいのテレビで見たことのあるだいぶざっくりとしたイメージしかなかった。

今まで何回か目的地の候補になったことはあったが決定打に今ひとつかける、でもいつかは行ってみたい。そんな感じ。

その土地の行きたいレストランや観光地をいつもならある程度絞ってから行くのだけれど、今回はGoogleマップで美味しそうなランチが食べられるカフェだけ見つけてすぐ支度を済ませ、電車に飛び乗った。


東武東上線に乗り、川越駅まで電車に揺られる。

電車の隅っこに座り、鞄に忍ばせておいた吉本ばななの短編『デッドエンドの思い出』を読みかけのページからめくる。

いまのところ最高の駆け出しだ。ここまでまさに思い描いていたひとり旅。電車に乗って心ゆくまま小説を読むのはひとり旅の特権だ。人がいると会話の方に集中するので基本小説は持っていかない。

私の心は完全にウキウキのウキウキだった。

短編小説の1話目が読み終わり、次の話まで進むかどうか迷っていると川越駅に着いた。着いた時には、もう既にお昼を過ぎていた。

川越駅にはアトレが入っており、思っていたより大きくて近代的でどっしりした駅のようだ。もうちょっとレトロな感じを想像していた。

改札を出て、どっちに進めばいいのか分からなかったのでとりあえず人の波に乗りながらGoogleマップを開く。

まずは事前に見ていたカフェへお昼を食べに行くことにしよう。

私のGoogleマップは最近ご機嫌斜めで進行方向よりちょっと斜め右を向くので現実の案内板も参考にしながら要チェックする。

人の流れに乗って進むと、アーケードのようなところへやってきた。わくわくしながらアーケードの方へ足を進めると入り口に構えるやけにカラフルなお店が目に入る。

その名も「ドン・キホーテ」だ。

あれ、私が(勝手に)思い描いていた川越じゃない。私は川越でドンペンに会いたかったわけじゃない。

私の川越は石でできた屋根が並んでいて、和菓子屋さんやお蕎麦屋さんが並んでいて…

いやでも待て。

入口がドンキだっただけで進めば段々と小江戸風な建物になっていくのかもしれない。私が入口を間違えてドンペンに出くわしちゃっただけ。きっとそうだ。

でも、その期待虚しく歩いても歩いても見る店は渋谷や池袋などと変わり映えのしないチェーン店が続いた。

調べてみると、私が思い描いていた「THE 川越」は蔵造りの町並みという名前がついており、川越駅からは少し歩いたところにあるとのことだった。完全に私の調査不足。

歩くとお腹が空いてきたので、調べているカフェへ最短ルートで行くことにした。

Googleマップに従順に従い、最短ルートを歩いているとどんどん人通りが少なくなり静かな住宅街へと突入する。

さらに歩くと、いつの間にやらお寺のような敷地に足を踏み入れていた。喜多院という寺院らしい。

観光で来ているのか、おばあちゃん集団がたくさんいて楽しそうにおしゃべりしていたり、何人か着物を着ている女の子たちもいることに気がつく。「なんだろう?」と思って見ていると七五三だった。千歳飴を持った小さな子たちが、おめかしをして写真を撮っている。

その姿を見て、私は小さい頃こういった類いの行事でおめかしをしたり写真を撮られたりするのが大の苦手で逃げまくっていた記憶が蘇った。

今思えば、なんであそこまで嫌っていたのか不思議だけれど、とにかく退屈だったのだと思う。

でも今ようやく大人目線に立ち小さくて可愛い頃の子供の写真はたくさん撮っておきたいよね、ということは理解できるようになった。

少なくともここにいる子供たちは写真から逃げまくっている様子はない。みんな良い子だな。

そんなことを思いながらさらに足を進めると、目的地のカフェがすぐそこだった。

カフェにはテラスがあって、談笑するマダムたちが目に入る。とっても素敵な外観であるけれど、その分ちょっと観光地チックでやっぱり入りにくい。

勇気をふり絞り、全然ひとり旅慣れてますけどの顔で「ひとりなんですけど、入れますか」と入口付近にいた店員さんに話しかけてみた。

「何人ですか」と聞かれるのが恥ずかしかったので、あえて「ひとりなんですよ」を最初にこちらから提示したのがポイントだ。

すると、店員さんがちょっと申し訳なさそうな顔をして「今の時間、ちょっとやってないんです」とCLOSEと書かれた板を指差した。

ああ、やってしまった。

Googleの情報では営業中だったのでやっているに決まっているとたかを括って看板など見ていなかった。

はじめてのひとり旅での、はじめてのランチでの、お断り。少しだけどんよりとした暗い気持ちになった。

普段だったらこんなことで落ち込むタチじゃないのに、1人で断られるというシチュエーションに心細さが増した。

私はなんでいま川越にいるんだろう。ドンペンに泣きつきたい気持ちになった。なんて都合の良い話だろう。ドンペンにだってきっとくちばしで突かれる。


もうこうなったらなんでもいい。とにかくお腹が空いたからそんなに店を選ばずに入ろう。気を取り直してもう一度足を進める。

お蕎麦屋さんや定食屋さんを通り過ぎとにかく女1人で入りやすそうな店が基準に探し歩いた。

すると一軒。カフェのような佇まいのお店が目に入る。スマホで店名を検索すると、カウンター席もあるようだった。これなら1人でも入りやすそうだ。

今度は店の前の「OPEN」の文字を2度ほど確認してからゆっくりドアを開ける。

中にいる店員さんは全員女性でシンプルなエプロンをつけていて、店内も白を基調としたナチュラルなつくりだった。

ランチタイムは過ぎていたからか店内は空いており、入ると1番奥のカウンターに通してくれた。椅子に腰掛けて、やっとひと息つけることに安堵。

メニューは土地の野菜を使ったおばんざいプレートが中心になっていて、私は迷わずそれを頼んだ。

私の目の前にキッチンが広がっているので待っている間は店員さんが料理を仕込む様子を見ることができた。
店内にはトントントントンと心地良いリズムで包丁が木を叩く音が響く。

それぞれに役割があって、無駄なくテキパキと動く姿は見ていて気持ちが良かった。

しばらくして、プレートが運ばれてきた。

色とりどりの野菜を中心におばんざいが可愛い器に並べられ木のプレートに乗せられている。

手づくりを感じられる、どれもとてもほっとする味だった。さっきまで心細く感じていた私の心に沁みたわたる。

そしてこんなにも野菜を沢山の種類たらふく食べたのは久々で、日々の野菜不足を反省した。

素敵なお店で美味しいご飯を食べ、私の心細さバロメーターもすっかり回復していた。

ただ私の回復とは対照的に外に出るともう太陽が傾き雲がどんよりし始めていた。今から「THE 川越」に行くかちょっと迷ったけれど、もう心は美味しいご飯を食べて満足していたので足は帰りの駅へと向かっていた。


事実だけなぞると、川越へランチを食べに行って帰ってきただけ。でも私にとっては間違いなく初めてのひとり旅だった。

ひとり旅を通して感じたのは、自分のためだけに時間を使える高揚感とひとりであるがゆえの心細さだった。

電車に乗って本を読んでいる時間に感じた自由はたしかにひとり旅でしか味わえないものだったし、一軒目のお店を断られた時に感じた心細さは誰かと一緒にいたら通り過ぎてしまう感情だった。

二軒目のカフェで安堵して、ほっとする味に感じたのも誰かといたらまた違う味に感じたかもしれない。

私はまたひとりでしか味わえない感情をもとめて、ひとり旅へ行くだろう。

次こそ「THE 川越」までたどりつかなきゃ。

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