13年前の被災地
今日は3.11
東日本大震災から13年が経ちました。
インフラ企業に勤める私は
宮城県と岩手県の被災地支援に
震災から1か月経たないうちに
現地へ入りました。
支援活動をした地域は
気仙沼と南三陸町でしたが、
匂いに驚きました。
風向きによっては1日中異臭です。
被災者の方はもっと苦しんでいますので
会社からは我慢しろ口にするなの指令もありました。
常識的にも生か死かを体験する現場では
日々気も重たいので軽い口なんて出なかったです。
1年の被災地支援でも土日は基本休日でした。
気仙沼の鹿折唐桑が宿泊所として
南三陸町まで片道2時間くらい掛けて行くので
休日は自然と北上をしたくなっていました。
陸前高田は視察で休日返上で向かいましたが
倒壊の痕は瓦礫も撤去され建物がありませんでした。
改めて自然の強さ虚無さ、恐怖を感じました。
大船渡線の駅や線路は被災から半年経っても
立ち入り禁止の区域が多く復興手付かずな状況でした。
大船渡の視察では鷹生(たこう)ダムは安全で
稼働もしているということなので足を伸ばしました。
ダム好きの仲間には楽しそうでした。
自分は好きではないものの普段見ない壮大さに
ダムは大きいなと実感しました。
1年間の被災地支援を務め上げた帰路
新幹線で横浜に戻る前の仙台市内で
上司のご馳走で美味しい牛タンを食べました。
覚悟して向かった被災地支援でしたが、
東北の方の暖かさは力になりました。
ただ一部の方で最初は土下座しろと言われたり、
灰皿や物を投げぶつけられたりもしました。
会社からも我慢しろと言われてますが
やり場のない気持ちを吐き出す場所が
自分ならいいかと仕事と割り切ました。
けど神奈川から、横浜から
支援に訪れていることを知った
被災者の方は優しくなっていきました。
第二のふるさとでもないですが、
泣いて笑って苦しんだ思い出が
どう復興されているかのんびり旅行でもしたいですね。
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