被害者であることが快楽になったら不幸になるしかないよね

イジメられていた、という女がいた。
わたしはその女から、イジメといってもいいような迷惑はたくさんかけられていた。

よく泣く女だった。
人を見た目で判断する女だった。
自分のかわいさをよくわかっていた。
そして、それだけで許されると思っているのが透けてみえているくらいには、歳をとりすぎているし、頭が弱かった。

イジメられていた、という話をすれば、
優しくしてもらえたんだろう。
いい思いをした、経験をつんでしまったったんだろう。

負けん気が強く、とにかく、主人公でないと気がすまない女は、味をしめた。

選択の条件を、幸福や快適で選ばず、
主人公になれるか、で選ぶと人生はハードモードだ。

人はみな、自分のことで精一杯なのだ。
主人公とせいぜい5人くらいの濃い登場人物で人生の物語は進んでいく。
そこに無理矢理一瞬でも食い込もうとするなら、
悲劇のヒロインになるのがイージーだ。

悲しみにくれる人を、なかなか知人は無視できない。多くの人は同情するだろう。
そして、面白くなるより、魅力的になるより簡単に話題の人になれる。

可哀想だ。
悲劇のヒロインになることが、
ゴールであるなら、絶対に幸せにはなれない。
いつも不幸を探してしまうだろう。

そして、うるうると泣きながら、
優しい人に話を聞いてもらうことで、
主人公であることを、自覚するのだ。

これが、わたしの人生なの、どうか慰めてと。

だから成功体験を与えてはいけないとは思う。
例え面白おかしく話そうとしていることであっても、人の不幸を笑うなんてこともしたくない。

あなたはとても、苦しかった。
でもそこからあなたはいくらでも変われる。
あなたは、幸せになるために、生まれてきたんだよって言いたい。

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