谷川俊太郎さんの詩と私
初めて彼氏ができたときに、谷川俊太郎さんの『愛のパンセ』を読んだ。そこで私は、浮かれた恋の詩を求めていた。自分が初めて味わう感情が、どう表されているか知りたかったのだ。
自分の気持ちにぴったりな言葉を求めていた。
今ではおぼろげになってしまったあのときの感情。でも、ページをめくりながら、自分の気持ちを確かめたいと思っていた日々を思い出す。
失恋したときもまた、詩集のなかで、言葉を探した。
恋をしたとき、恋をうしなったとき、どちらも強烈に言葉を求める。まるで自分が詩人になったみたいに、言葉が自分からあふれてくるような気がする。自分では表しきれない感情を言葉で表現している詩を読みたくなる。
それから時を経て、子どもができた。
『スイミー』を読んであげた。そのとき所属していた子育てサークルで、『スイミー』を題材にして影絵を作り、音楽も付けて舞台の上で発表したあの頃。小さな魚たちが協力して大きなマグロに立ち向かって行く姿にとても勇気づけられた。
娘の役は、小さな魚たちが集まって大きな魚をふりをするもの。今でも、恥ずかしげに、それでいて誇らしそうに魚の形の紙を動かしていた姿が忘れられない。
やがて下の娘が誕生した。
『めのまどあけろ』をよく読んであげたっけ。
このリズムカルな文章に私もすっかり虜になってしまった。幼い子に読んであげるのにもぴったりだったし、この豊かな言葉の海にどっぷりつかった。何度も何度も繰り返し口に出して、味わった言葉たち。
今ではすっかり大人になった私の娘たちは、谷川俊太郎さんの本で何が好きだったか、話し合っているのだ。