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詩とそれにまつわる話(決断)

壊れゆく日常に

悪魔のような一声かかる

辿り着いたこの島に

幸か不幸か光を感じず


進むべき道を探りながら

私は今日も、鳥のように泣く

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何か大きな決断をすることは、とても怖いし、勇気が要ります。それに伴って私は、決断をするために多大な時間を要します。
何が正解かなんて分からないのに、正解を求めて悩みます。結局は、ぽんって決めちゃうんだけど。
人生の中で、八方塞がりだあ、ってなった時がある人、どれくらいいるんでしょうか。
私は、その時八方塞がり状態でした。色んな人に相談しました。それも、色んなところに出かけて行って。
自分が責任を持つことが怖かったんでしょうか。それとも、何か別の答えを求めていたんでしょうか。

そんなになって、何に悩んでいたのか。半年間の休学に悩んでいました。大学に3年間通って、就職活動の時期。
進路にも悩んで、それに付随する周りの人のアドバイスや叱責の声の大きさに、心が追いつかなくて、困っていました。
いつでも立ち止まって考え、自分の心が「よし、行け!」と言わない選択はあまり好きではない私にとって、自分の人生が行き場をなくしてしまうと思った時でした。周りの声>自分の心、になった時、その時の状態は前に進んでも、結局は全てが嫌に思えてきて、最後は振り出しに戻ってしまうものだと思います。
就職活動と休学、周りの声は二分していました。(それプラス、自分がしたい方をすれば良いよ、と言ってくれるどちらにも属さない人がいたから、三分かな?)
自分の意思がはっきりとしないから、周りの人がどんどん声を大きく上げるようになるのだ、と、頭では分かっているのですが、
周りに私の意思が尊重されると思いきれない私は(実は尊重されているのかもしれないけれど)、自分の意思を表示することが苦手です。
周りの声は大きくなっていって、自分の声はどんどん小さく、けれど、花の中に眠る種のように固く、閉ざした心の中に膨らんでいくのでした。

結局、私は休学をすると言う選択肢を取りました。今でも、自分が取った選択が正しいかわかりません。正しいか問うのではなく、「正しくする」ことが大切だと言われるかもしれませんが、自分が思い悩んでまだ「正しかった」と言えない今は、正しいか分からない、という状況の中にいます。


この詩を書いた時は、休学しようか、しないか迷っていましたが、家族の意見や友達の意見や、これまでの自分の経験を全て振り返ってみて、
ほぼ「休学する」という意志を持って、一度、自分が休学中に滞在しようとしていた奄美大島の南の方に滞在していました。
夕日が落ちる海を眺めながら、何度も何度も同じところを行ったり来たり歩いていました。見つけた小さな図書館で机に向かって、自分に刺さりそうな本を眺めてみたり、歩いて暑くてクラクラしながら、それでも島の中で出会った家族と仲良くなってご飯をもらったり、今度遊びにおいでよと名刺をもらったり、嬉しい気持ちになる時はあって、格安宿に泊まってお風呂にゴキブリが出たり暑くて眠れなかったりした日々も、今では懐かしいなあと愛しむことができます。

下見✖️自分の整理をしたくて、一度赴いてみた島。
分かったのは、自分自身のことは自分が決めなければならない、と言うことでした。当たり前じゃん、と思う人もいるかもしれないし、私も今では、当たり前じゃん、と思っています。けれど、その時はそれが人生初で、いろいろな状況がもつれていて、人生って怖いなあ、と思っていました。
一歩を踏み出すことが怖くて、戻ることもできない事実は変わらなくて、泣いてもどうしようもないのに、泣き虫な私でした。

決断した内容は、良かったのか悪かったのか、今でもよく分かりません。
けれど、確実に一歩を踏み出し、全ての物事に動きをつけました。
これからも、どんな状況が来たって、探りながら、光を求めながら、泣き虫な私として、一歩ずつ進んでいきたいと思います。


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