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コロナがおこした不登校革命

 コロナと不登校

コロナにより学校が閉鎖されたとき、不登校は正当な手段だった。
この「不登校」は、「在宅学習」として実現され、学校に通わずにオンラインで学びを進めることを意味していた。
これまで学校への登校が当たり前であったのに、感染が拡大する状況下では、学校への出席を控えるべきであるという指針が示されたのだ。一時だが、不登校は学びの手段として完全に位置づけられた。

試される学校の役割

コロナ時期には在宅学習を怠る子どもたちもいた。
コロナにより、大量の課題が出された学校もある。
ただ、ここで疑問が生じる。
課題が出されないと子どもは学習できないのか。
普段の生活リズムや自己管理が浮き彫りになる。
こういった状況に備え、教育者は普段学校でコーチのような存在として児童生徒の自立を支援しているのではないか。

在宅学習によって深化する学習

同時に、在宅学習により自己学習に集中し、学びを深めた子どもたちも存在した。
このような子どもたちは、学校に毎日通う必要があるのだろうか。
もちろん、学校に通いたいと望む子どもたちにとっては、その機会が提供されるべきだ。
しかし、自分自身が集中し、情熱を傾けたい分野や夢中になりたいことがある場合、学校は時に足かせとなる可能性もある。
自分の興味関心を探求する際は自分が集中できる環境で、
研究した内容を発表する際は学校のような共同体がふさわしいのかもしれない。

学びのシステムを選択する自由

「不登校=在宅学習」という手段が新たな才能が発展する機会になる。
毎日の登校か、毎日の不登校か、どちらか一方ではなく
個々の状況や目標に合わせた学びのシステムを選んでほしい。
コロナ時代の経験から、自分自身の状態と時期に応じて学びの方法を柔軟に選ぶことの重要性を我々は再認識するべきではないか。

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