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ご祝儀 2 〜わたし以外のオンナは死んで〜【連載小説】

 翌朝あかねが会社のトイレで化粧を直していると、背後から甘ったるいバニラのにおいがした。

「おはようございまぁす」

 振り返る前から声の主はわかっていた。

「おはよう」

 うなじの半分くらいまでかかる髪に熱がこもり、その部分を持ち上げタオルを当て汗をぬぐった。

「月曜日ってだるいですよねー」

 藤堂珠理奈は隣に立つと、ヘアアイロンのコードを壁のコンセントに差し込んだ。熱くなるまで待ちながら、彼女はあかねの薄くストライプが入ったブラウスや、手首に巻かれた細いブレスレットに視線を走らせる。

「今日も綺麗ですね」

 鏡越しの珠理奈の目は鋭く光っていた。あかねは曖昧に笑った。

「別に普通よ」

 珠理奈はヘアアイロンに手をかざし温度を確認すると背中まである髪を一束取り、おもむろに髪を巻き始めた。入社した時より随分と明るい髪色になっている。

「昨日、表参道でパンケーキ食べたんです」

 珠理奈は楽しげに言った。あかねはしばし沈黙した。「だから?」という言葉を飲み込みにこやかに問いかけた。

「へえ、どこのお店?」

「あ、これインスタにあげてるんです」

 珠理奈は片手でスマホをいじりながらあかねに突き出した。ホイップクリームが山盛りのパンケーキの皿を持つ彼女が上目遣いで映っていた。

「なんかここ、ハワイにもあるみたいでぇ。すっごく人気なんですよ。三時間並びました」

 珠理奈ははしゃいだ声を出す。

「あの炎天下、よく並べるね」

「ええ、めっちゃ暑かったけど、友達とおしゃべりしていたら意外と早かったですよ」

 彼女は巻き終わった毛先にハードスプレーを勢いよくかけた。ちょうど入ってきた他部署の女子社員が霧を浴びたようで、露骨に彼女をにらんだ。

「おいしかったんで、石川さんも行ってみてください」

 珠理奈の目は極端に離れて垂れている。目の周りを黒いアイライナーでぐるりと囲み、ますます垂れ目に見えるような化粧をしていた。

「うーん。さすがに三時間も並べないわー」

 あかねの返答に珠理奈は一瞬不服そうな顔をした。彼女が口を開く前にポーチをバッグに戻し「お先」と言ってその場を後にした。朝からみるみるやる気が失せていくのがわかった。

 週明けのオフィスは夕刻になっても慌ただしかった。

「石川さん、悪いんだけどパンフレット取ってきてくれないかなぁ」あかねの差し出した書類を確認し終わると、眼鏡をかけ直しながら部長が言った。

「会社案内のですか」

「そう、最新の。さっき届いたんだって。けっこう重いからさ、ほら……」

 部長は気まずそうに声を潜めた。

「藤堂さんに行ってもらうべきなんだけど、アレだから頼めないでしょ。マタハラって言われちゃうからさ」

 “タ”の発音が上がり名字のように聞こえ、あかねは思わず吹き出した。部長は満足そうにニヤリとした。後ろを振り返ると会議か何かでほとんど空席だった。残っている者たちは一人を除き内線電話で喋っている。

「かしこまりました」

 あかねが頭を下げると部長は「ごめんね」とつぶやいた。席に戻りエクセルのデータを保存した。左隣の珠理奈は首をかしげたり唇をとがらせたりしながら熱心にパソコンに向かっている。後ろを通りながら覗くとエステだかのサイトだった。半裸の女の画像と“ブライダル”の文字が目に入った。

 エレベーターで受付に降り、段ボールに包まれたパンフレットを受け取った。

「あかねちゃん」

 不意に名前を呼ばれ振り向くと千賀が立っていた。

「千ちゃん」

「重そうだね、持つよ」

 千賀は鞄を肩にかけるとパンフレットをひょいと持ち上げた。

「大丈夫よ」

「いいんだよ、どうせ上に行くんだから」

「ありがと」礼を言うと千賀ははにかんだ。          あかねの前で男たちはいつも同じような表情をする。並んでエレベーターを待つ間、彼の横顔はわずかに緊張しているようだった。身長165センチのあかねがハイヒールを履くと背があまり変わらない。

「あかねちゃん、変わったよね」千賀はあかねの全身を見回した。

「どこが?」

「全体的に。だって髪短くなったし、パンツ姿初めて見たし。前はくるくるのロングヘアで、ふわふわのスカート履いて、いかにも女の子って感じだったから」

「どっちが好き?」

 顔を覗き込むと彼は赤くなった。黒々とした目がぬいぐるみの子犬のようである。

「え、あかねちゃんならどっちでも似合うよ。と言うか、パンツって脚の線ばっちり出るからスタイルいい子しか似合わないよね。その髪型もさ、顔が綺麗じゃないと難しいんじゃない」

 千賀の答えにあかねはたいそう満足し、頭を撫でてやりたい気分になった。

「千ちゃんは相変わらず口が上手いのね」

「そんなことないよ」

 遮るように言う彼の目があまりに真剣だったので視線をそらした。

エレベーターを降りると千賀からパンフレットを受け取った。

「じゃあ俺、営業部に用があるから」

「愛しい婚約者さんに会わなくていいの」
 彼は首だけ振り向いた。

「え、いいよ……。ほぼ毎日会ってるんだし」

「そう。じゃ、またね」

 席に戻ると珠理奈はまだネットをしていた。あかねは書類の束を引き寄せ集中してキーボードを打ち始めた。

(3へ続く)


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