見出し画像

私がプロレスを観る理由

プロレスをなぜ観ているのか

私がプロレスを観始めるきっかけとなったのはZERO1のチャリティプロレスだ。

家の近所で大道芸のイベントをやっていて、そのイベントのひとつとしてZERO1が青空プロレスをやっていたのをたまたま通りすがりに観たのがきっかけだ。

それまでプロレスは"新日本プロレス"という名前を知っているぐらいで、ちゃんと観たこともなかった。

その当時私は心の風邪を引いていて、毎日生きる屍のように記憶の無い日々を過ごしていた。

そんな中偶然目に入ってきたプロレス。
その時そこに『生』を感じた。プロレスラーが闘っていて、それを観て応援している観客がいて。

そこには『生命』があり、『活力』があった。
自分の中に失っていたものが返ってきた感覚を得られた。

そこから私はプロレスを見続けるようになった。生きている実感を取り戻し、保持し続けるために。

そんなこんなで、観る団体は紆余曲折あり変わったが、今でもプロレスは見続けている。

突然「なぜプロレスを観ているのか」を考え直したかというと、昨日の新日本プロレスの興行を観たからだ。

今新日本プロレスはジュニアのタッグリーグをしている。
その中でこのリーグ戦を前年含め3連覇しているタッグチームが絶不調で開幕から3連敗してしまい、優勝の道が途絶えてしまった。

ここまでは、まぁあることでしょう、として受け入れられるのであるが、問題はこの優勝が途絶えた昨日の試合後のこのチームのバックステージコメントである。

このメンタル要素が全面出ていて且つ人間関係のギクシャクも見えてしまう、負のオーラ満載のこのバックステージはいったい…

これはアングルなのか、マジのものなのか。

マジのものならば、ちょっとお休みさせてあげて欲しい。公共の場で自分の職業気にせずこうなっちゃってる状態は本当に心配。

でもこれがアングルだとすれば、、
ちょっと、、もうちよっと違う演出の仕方は無かったのか。観てるこっちが重すぎて受け止めきれない。。
自分とオーバーラップして辛い。また相方の気持ちにも想いを馳せてしまうので余計に見てて苦しい。。

プロレスは『やられても立ち上がる』ところが観ている人に元気や勇気を与える要素がある。

だけど、この"やられているところ"がファンタジーの世界でのことと割り切れず、現実の社会と重なるものだと観ている方は元気を吸収されちゃう。

反則や介入でバットエンドになるのは、イラッとするけど「なんだよー!!」と怒りという感情を外に出せる。
でも今回のこういうのは、観ている側が選手の気持ちに共感してしまうとなんだかよくわからない負の感情が内に溜まっていく。気分が沈む。

こういうのを自分に重ねて合わせたり、本当にそのレスラーが大好きだから立ち直ってくれるのを寄り添って見守るファンもいるであろう。

もちろん私も大好きなレスラーがいる。
でも私はそのレスラーがプロレスをしている人だから好きなのである。"プロレスラーの○○さん"が好きなのである。

私にとってはプロレスは元気を貰うところ。
プロレスぐらいは、元気は貰うところであって吸い取られるところにはしたくない。

だから今回のこの一連の事象は、否定も肯定もしないかわりに、目を逸したいと思う。
アングルであることを願いながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?