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笑い方を忘れない人生を

私の父は
声をあげて笑うのが下手でした。

割と強面だったので、
知らない人には
怒ってる?って思わせる事もあったらしいですw

でも
私が父を思い出す時
いつも浮かぶのは
穏やかな笑みを浮かべる父です。

はにかむような
あの笑顔。
少年の時は
さぞかし可愛らしかったと思います。

もしも生まれ変わることがあるのなら。
私は父のお母さんになってあげたい。

私が聞いて知っているだけでも
幼い頃から
苦労の多い人生でした。

父は、父の人生を全うした。

そんな父が
大好きで大嫌いで
やはり思い出すたびに
ふとこうして涙する事もまだまだあります。

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真っ直ぐな人でした。

自分の苦労を
娘たちに繰り返さないように

ネグレクトだった祖母の元で
それでも真っ直ぐ生きた父は

長女のわたしには特に
苦労をさせないようにと
それはそれは
大事に育ててくれました。

大事にされたことがなかったから
大事にする、本質が方法がわからなくて
それで
過干渉になったのだと思います。

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もし生まれ変わって
父のお母さんになれるのなら。

いつも笑っていられて

声を立てて笑い転げて
抱きしめて欲しい時には
いつでも抱きしめてもらえて

ご飯もちゃんとお母さんが作ってくれて

妹や弟のことも
当たり前にお母さんが世話をして

自分は子ども時代を満喫できる
そう言うふうにしてあげたいです。

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わたしは人生において

笑い方をすっかり忘れてしまったことが
2度あります。

1度目は
20代の頃。

付き合っていた相手の精神的DVが原因でした。
共依存だったので
DVだと言うことに気付いておらず
それを認めるのにも時間がかかりましたが

ある日気付いた時
すぐに行動に移りました。

そして
そこから抜け出した時。

本当にバカバカしい
お笑いのテレビの話を友人に聞いた時
なんだか心からおかしくって
声をあげて笑ったのですが
うまく笑えなくて
愕然としたあの瞬間の衝撃は
今も忘れられません。

笑うのって
息継ぎしないと笑えないんですよ。

そんなの意識したことないですよねw

でも、
笑う時の息の仕方がわからなくなっていて、
その時にしっかりと自覚しました。

でも、なぜそんなDV男に惹かれていたのか?
という本質を見つめることをしなかったので

また同じことを繰り返しました。

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再び笑い方を忘れてしまったのは
一昨年です。

これはDVだ。
またやってしまった。
と気付き
そこで
自分と向き合いました。

いかに自分は
自分に嘘をついて生きていたのか。
言い訳ばかりで
自分に責任を持たず
軸がなかったか。

自分はどう生きたいのか。

わたしは二度と
笑い方を忘れる事はありません。

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そうそう
2度目の時も同じ状況でしたw

その時仲良くしていた友人と話していて
「昼間アブノーマルなのに
夜はノーマル」
(↑なんのこっちゃでしょうけどw
友人との中ではドンピシャの爆笑ネタだったんですw)

その友人の一言で
2人で涙が出るほど爆笑したんです。

この時
そうや!
こうやって笑うんだった!
って感じて。

1度目の時は
笑い方を思い出すのに
1ヶ月くらいかかりましたが

2度目はこの爆笑が3〜4分続き
その間に爪の先まで血液が流れるのを感じるのと同時に、
自然に涙を流して笑い転げていました。

その友人が
笑い終わった後
今度は泣きながら
「あんたって、こういう風に笑うんやな」
「声上げて笑うところ
初めて見た。
こうやって笑うんやな」
って泣きながら言ってくれて

爆笑の後は
2人で泣いたのがまるで昨日のことのように思い出せます。

ありがとう。
その友人のことは本当に大好きだったし
今も感謝の気持ちを忘れた事はありません。

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私が笑い方を思い出した、その時の笑い方と
父の滅多になかった声をあげて笑う、
その笑い方が似ていました。

それに気づいた時
もう父はこの世にはいませんでしたが
もし
今生きていたら。

お父さんを
抱きしめたいなぁと思うのです。

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子どもたちや
まだ今も元気にいてくれている母

私が生きている間に
お互いに抱きしめ合う事って
あと何回出来るでしょう。

わたしはもう後悔したくない。

自分の心に
正直に生きて
定められた運命をどう生きていくか。

今日という1日
さらに言うなら
1秒前

二度と戻ってこない時。

だから、
今生かしてもらっているこの時を
精一杯
めいいっぱい
楽しんで

自分という人を
もっともっと好きになれるように
瞬間瞬間を大事に生きていきたい。

と、
改めて強く思うのです。