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過去を振り返って (2020年頃)

これまでの振り返りで30代になってからのことはあまり曝け出してないだろう。

30代になって印象にあるのは絶望や苦しみ、希死念慮が強いことが今もあることであって、生きることが嫌になり人生を諦めている。

しかしそう思っていながら前回自分の弱さを曝け出し支援までも求めた。

わたしは矛盾していることは確か。おかしいと思う。
なんせ死にたいのに助けてなんて言うなんておかしな話である。

もしかしたら心のどこかで希望を見つけたいかもしれない、ほしいものや達成に快感を得たいこともあるから、憂鬱だが目的は死んでない。

だから生きることに依存症なのかもしれない。

2019年7月いっぱい、わたしはアイシン高丘という会社を辞め、その後ことはまた別の機会で書きたい。

そして2020年コロナ(茶番でみっく)というものが流行った。うんざりするぐらいのものだったが。

そのタイミングで建築関係の派遣会社に就職した。
その頃は最初の1ヶ月は自宅待機になり、送られてきたテキストや建築の本、エクセルワードのテキストを読んでいた。

そして時間があるため、コロナなんて最初っから信じてなかったので、外出して散歩や都心の駅でぶらぶらしていたりした。

その頃は精神的に根暗で憂鬱で自分なりに納得いかずの疲労もあった。

もうその頃以前に鬱だったのだ。4月の終わりくらいに初診を受け、5月に入りうつ病と愛着障害と診断を受けた。

建築会社の派遣は県外の配属も考えなければいけなかった。
各会社の拠点が岐阜に滋賀に豊橋など、名古屋から遠いところで住んでみたい街に住むために前職やめたことが無駄になる。
個人的にそれが嫌だった。

5月に入りzoomで自宅での研修がスタートした。それが配属決まるまで11月いっぱいまでかかった。

それまでは配属は決まらなかったのであり、研修は自宅で、レポートを提出して1日終わる。

平日の生活は9時から18時まで自宅研修で終わったらスーパーで夜ご飯の買い出しに行く。
日に日にスーパーは変えながら気分で行く場所は変わる。そうやってつまらない憂鬱ながら生活していた。

その頃親と志段味の母という人とやりとりして自分の過去を追いかけていた。

そこで知ったのは自分は2歳の頃に自閉症と診断を受けたと親から聞いた。

今思うと自分のことや過去を振り返ったらそうだなとあまりおどろかなった。

しかし小さい頃の自分を振り返ったら点と点が線を引いて繋がった感じに思えた。

そしてわたしはそう生活しながら少数ながら出会いがあり、恋愛まではいかずだが、近所の既婚者女性に声かけられたり、マッチングアプリで双極性障害の人と出会いお茶することがあった。

その頃は自分で自分の心を傷つけるくらい自虐なネガティブなだったため、LINEブロックされた。

わたしは人に好かれることがない人間だと自覚した。

結局は出会ってもブロックされるなら出会う意味がないと今感じる。

11月になると研修が雑になり寝ててもバレないくらいな状態だった。

実はその頃は体と心が動かないくらい心が参っていた。
クリニックに相談しても納得いく内容で話が進むわけでなく薬は処方されるが効果がないことか、笑うことや楽しい嬉しいなどの感情が完全に失ったくらいメンタルブレイクが通常な状態だった。

その状態で誰かと出会うのは危険だと今感じる。

11月に配属が決まり、犬山にある工場の中にある電気保全の会社に棚卸しの
業務3ヶ月の契約で12月から始まった。

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