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西洋における思想の変換〜美術史と哲学史から〜 2024.7月号無料版

ハンマースホイというデンマークの画家をご存知だろうか。19世紀後半から20世紀を生きた時代の画家である。代表作「白い扉」は1905年の作品だ。扉や床など書いている物体ひとつひとつを見ると、写実的であり単純に「上手い」と思う。しかしどこか現実離れした雰囲気を感じさせる不思議な絵である。

 絵画の世界は19世紀後半というとすでにモネやルノワールに代表される印象派が登場し、更に次の世代であるポスト印象主義のゴッホやゴーギャン、点描で知られるスーラなども登場している。それまでの絵画は言ってしまえば目に映るモノを書き写してきた。古典的な絵画は単純にその上手さに磨きをかけて来たし、時代が下り印象派のような文字どおり目に映る印象を描くに至った。しかし、印象派よりも次の世代の画家たちはどこか違う。ゴッホにしてもゴーギャンにしても、本人がどの程度意識していたかは別にして、所謂目に見えないもの、自分自身の内面や精神世界を絵に表現するようになった。   

 現代絵画の父と呼ばれるセザンヌのように、現実をそのまま書き写すのではなく、絵の中で現実を再構成するという発想の転換が、このあたりの絵画に見られる特徴なのかもしれない。
 
 これは哲学の歴史にも通ずるところがある。我々の見えているこの世界はいったい何からつくられたのか、現に見えている者から考え始めた古代哲学。時代が進むにつれて、見る、聞くなどの認識について考えるようになる近代。侃々諤々な議論の末には、ニーチェのような、見えているモノは見ているモノ、つまり自分なのだと行き着く(自分自身の欲望というレンズを通してみる世界)。

 話があれやこれやと長くなってしまったが、ハンマースホイに戻すと、彼の絵を不思議、不気味と評しているのは、絵に描かれている物理的なモノではなく、絵から読み取る精神的なナニカ、自分自身の心の内ともいうべき一種の鏡となっているからではなかろうか。また、印象派が描いていた時間の経過によって移り変わる景色から、時間の経過それ自体を描いているような絵に目に見えないものを描き出す不思議さが詰まっているのだろう。

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