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言語という思考システム 2024年1月号無料版

恐怖の対象が無いのに恐怖心がある。おかしな逆転現象が起こっている。人は言語の外で思考することが出来ない。言葉の呪縛から逃れられないんだ。だから説明できないことが、世の中にはたくさんあるんだと思う。

 最近はchat GPTなんかが世間を騒がせたから、言葉についてよく考える機会が増えた。彼らAIと私たちが使ってる言葉は同じように見える。でもどこか人間らしさみたいなものが彼らには無くて僕らにはあるんだ。この人間らしさたらしめてるものって何か、少し考えてみた。

 ある人はこう言ったんだ。ストッパーが人間にはあるけどAIには無いって。AIは問いに対して最適な答えを出してくるけど、人間は自分も含めてあらゆるものに配慮して言葉を選ぶ。つまりその場の雰囲気を認識する力ってやつかな。育ってきた環境にもよってまた変わるだろうとも言ってた。

 私はこう思うんだ。人間の記憶にAIとの違いがあるんじゃ無いかって。思い出とか思い入れとか言ったらいいのかな。例えば猫って単語を聞いた時、色んなことを連想するだろう。連想というか猫って単語に猫以外の何かが意味付けされてる感じ。
私だったら愛猫のこうりゅうのことだったり。そこは人それぞれだろうけど。これはAIには無いだろう。

 つまりなんて言えば良いのかな。データの量は圧倒的にAIの方が多いけど、質は明らかに違うよね。人間はやっぱり言語以外で思考する部分も残ってるのかも知れない。でもそれを考えるのも言語だから全然答えが出ないのさ。

 よく天才は天然には勝てないっていうけど、あれもこの問題と一緒なんだ。パブロ・ピカソはなんでも描ける天才だけど、目指したのはアンリ・ルソーだし。でもピカソは思考の限りを尽くして天然の方に足を踏み入れたから超がつく天才だと思ってる。まあ芸術ってのは言語以外の思考パターンの代表だよね。みんながみんな出来ない。これが出来るのは超天才と天然だ。
 
 結局私はこの恐怖心の正体が分からないままなのさ。

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