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いつか死ぬのに生きる意味ある?


前回のお話
一話「死んだ魚の眼をしているね」


二話「帰りに轢かれて死ねばいいのに」



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短い身の上話を、私はぽつぽつと、幾度も間を置きながらゆっくり話した。順序立てて説明することで、自分の心にも整理がついたような気がする。
お陰で、私の人生の絶望と孤独がより、はっきりとした。

「それでさ、中庭に風を浴びに行くと看護婦に言って、そのまま徒歩とバスでここまで来たの。」
「あんなしみったれたとこで一生を終えるくらいなら、もっと好き勝手してから死にたいんだ。人生は、、、、一回しかないからね。」
「アンタもそう思わない?」

蔵野は何も答えない。まっすぐに私の顔を見つめている。
なんの感情も読み取れない。どんな気持ちで私の話を聞いていたのだろうか。

「まぁ、、、、、これが訳アリの”訳”だよ。」
「どう?アンタの期待通りの話だった?」

「さぁ、、、でも、面白い話だね。」

「面白い、、、?何が?馬鹿にしてんの?」

やっぱりこいつ頭がまともじゃないんだ。
ナンパ師よりもずっと面倒臭いやつにつきまとわれてしまった。
だが、誰にも通報せずに服を買ってきてくれたことだけは感謝しなくては。ぶっきらぼうに突き放すのは気が引ける。

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突然、私の足元から大きな音がなった。無機質な電子音楽と震動。
ポケットをまさぐりスマホを取り出す。
暫く電話などなかったのに、今度は誰だろうか。
暗い画面に向けて凝らした視線を注ぐ。

「ははははっ、、、うわ、、、まじか。美浦からじゃん。随分と大事になってきてる。あはは。」

そのとき蔵野の視線がにわかに熱を失したような気がするが、またすぐにいつもの調子へ戻った。
なんだ、あれだけ言っておいてアンタも嘘を付いてるじゃない。
見間違いかもしれないけれど、そうでなくとも、着信が来て突然笑い出したのだから、無理もない話だ。
私は冷静さを欠いている、自覚しているのだが止められない。正体の判然としない衝動的な何かに駆り立てられている。

蔵野は今までとなんら変わらぬ明るい調子で問いかける。

「美浦って?友達?」

「うん、でも電話の相手はきっと母さん。きっと今頃、向こうは大騒ぎだよ。」
「もう家族や親戚はみんな着拒にしたんだけどね、今度は友達の携帯まで使ってきたよ。」
「みてこれ、昨晩の着信、、、67件!!」

笑いながら蔵野に着信履歴を見せる。
蔵野は返答に窮す。会話はそこから先へ展開しなかった。
暫くの間私達は沈黙したまま座っていた。
潮が満ちた。海鳥が鳴いた。奇妙な時間の流れであった。

「私、、、もう行く。」
先に私が切り出した。

「え?」

「冷静に考えたら、もう警察が捜索に乗り出してるはず。私、あの服装でバスとか乗ってたから、その気になればすぐこんなところ見つかってしまうわ。」
「昨日は、遠くに行くことに必死で、あまり頭が回ってなかった。」
「だから、、、もう行くわ。」

私は立ち上がった。一呼吸分の間があった。

「へぇ、、、でも、、、どこへ?」

「さぁ、、、でも、できるだけ遠くに行きたいな。この海沿いを歩いて、、、」
「ゴムボートを盗んで、海に出るのも面白いかも。私、外国に行ったことがないから、一度行ってみたかったのよね。」

「海に出るほうがかえって見つかりやすいよ。それに、墨田さんは、貧相だから、外国に辿り着く前にきっと死んでしまうだろうねぇ。」

蔵野はうつむいたままでそう言った。

「そんな事、分かってます。ただの冗談ですけど?」

「あ〜そうなの?僕、、、冗談とか得意じゃないんだ。」

「はいはい、そうでしたそうでした。”正直だから”でしょ?」

「はは、分かってくれて嬉しいね。」

私は小さく溜息をついた。
別に、退屈していたわけでも、何かに嫌気が差したわけでもないのだけれど。

「あと、アンタこそ、貧相って何よ、貧相って。」
「おっぱいが大きかったら海に放り出されても生き残れると思ってんの?」
「変態。」

「そういう意味じゃねぇよ。」
「変態。」

私と蔵野は数秒間のあいだ、微動だにせず見つめ合う。いや、睨み合う、のほうが近いか。

緊張した沈黙に耐えかねて、蔵野は突然大声で笑い出した。
にらめっこは私の勝利で終わった。

「何笑ってんの。」
「ねぇ!」

蔵野は無視して笑い転げる。
私は蔵野を軽く蹴る。
蔵野もすぐに落ち着きを取り戻した。でも、なんだか楽しそうだ。
なぜだか、この男の楽しそうな顔は見ていて腹立たしい。

「ああもう、、、、、、もういい、時間の無駄。」
「こんな事してるほど私は暇じゃないの!」

私は早足であるき出す。日陰を出ると、すかさず太陽が私を焼こうと照りつけてきた。
すこし遅れて、うしろから砂を踏みしめる音が鳴る。
ちらりと振り返ると、蔵野が何食わぬ顔でついてきていた。
空気を読むとか、、、そういうことはできないんだろうか。
話の流れからして、なんとなくついて来ない雰囲気を察するでしょ。普通。
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小一時間程だろうか。
私と、何故か着いてくる蔵野は、海沿いのコンクリート堤防を辿って歩いた。
行き先はわからない。
けれど、来た道とは逆方向に。

途中でコンビニに入って、飲み物とゼリー状の携帯食を買った。
蔵野もガムと持ち運びに良い菓子類を買っていた。
コンビニの中にいる誰からも奇異の目を向けられないし、密語を交わす声もない。昨晩は人目を気にして店には入らなかったので、買い物できるだけでなんだか嬉しい。
はじめて人間になった気分がした。
会計を済ませて外に出ると、入れ違いでパトカーがコンビニに入っていった。

「走らないほうがいいよ。」

私が動揺する前に蔵野が釘を刺してきた。

「多分見られてないし、普通の格好してたから大丈夫だと思う。逃げるとかえって怪しまれる。」

蔵野に言われて、私はあたかも普通な風を装って店をでて、警察官の死角に着くまで歩いた、つもりだが、上手くできていたか分からない。
二人組の警察官は、私達には目もくれずに店内へ入っていった。

「大丈夫みたいだね。」

蔵野が言う。それを聞いて私も安堵の息をつく。

「はぁ、、、、、怖、、、、ビビったぁ。」

「ビビったけど、全然、何てことなかったね。」
「実はなんにも関係ない警察官だったのかも。」

「えぇ、、、それだと、無駄に緊張した私が馬鹿みたいじゃん、恥ずかしい。」

「だね、”スパイごっこ”してるようなもんだ。」

蔵野は変わらない調子でひょうきんに笑った。
私は笑わなかった。

そこからまた、小一時間ほど歩いた。
警察とは合わなかったが、別の友だちから電話がかかってきた。
友達は少ない方だったし、みんな悪い子じゃないので、着信拒否にするのはなんだか心が痛む、、、ような気がするけど、やっぱり気のせいかも。
あんな奴らどうでもいいような気もする。

日がだいぶ傾いてきた。スマホを見ると五時であった。
西陽がまだまだ熱いが、アスファルトの照り返しがないだけまだマシだ。
コンビニを出てから、幾つか分かれ道があった。
方向は同じなので、適当に進んでいた。
最初は海沿いの大きな道路を歩いていたはずが、いつの間にやら細い坂道に差し掛かり、私達は山を登っていた。
午前中は海に居たはずなのに。
それでも、足が動くのだから、歩き続けなくては。
できるだけ遠くに。
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「アンタ、、、あの海の近くの高校の生徒なのよね?」

私は蔵野に問う。

「そうだけど?」

「じゃあこの辺の道もわかるの?」

「いや、大きい道に居たときはまだ分かったけど、こんな山道はねぇ。」

「そっか、残念。そろそろ夜だし、道を聞いとこうと思ったんだけど。」

「まぁ、たしかに山で迷ったら大変だよね。」
蔵野はまるで他人事のように言う。

「まぁ、、、私は別にいいよ。どうせ死ぬしね。”それもまた一興”ってやつ?」
「私より、アンタはどうすんの?門限とかないの?」

「日を跨ぐまでには帰りなさい、って言われてるよ。」
「でも、『帰らなくちゃいけない』って”言いつけ”は、僕が家に帰らなくちゃいけない理由としては少し弱いかな。」

そう言って蔵野は一言付け加えた。

「今日はとっても楽しいからね。」

「私が言えたことじゃないんだけど、、、」

「何?」

「あんまり家族を心配させちゃいけないと思うよ。」

「あはははは、なんだそれ。君にだけは言われたくないね。」

蔵野は笑った。まぁ、、、当たり前か。

「だから最初にそういったじゃん。」

日が沈んだ。
うるさかった蝉の鳴き声が消えた。
代わりに今度は、山へ戻ってきた鴉が騒がしく鳴く。

山道にも幾つかの分かれ道があり、それぞれを足の赴くままに進んだ。
徐々に道は細り、ある時からアスファルトの舗装がなくなった。

「来たことのない道だ。」

「まぁ、、、そうだろうね。こんな山道。」

当たり前だろ、と言わんばかりに蔵野が答えた。
思ったことが無意識のうちに声に出ていたらしい。

「名前も知らない山のこんな奥まった道、もし私が病院を抜け出さなかったら、一生通らないよね。」

「だぶんね。僕も墨田さんに会わなかったら、ここには一生来なかっただろうね。」

「はは、、、。じゃあ、アンタは私が死ぬお陰でここに来れたってことだね。感謝しなよ。」

「この電波も通らない山奥に、どう感謝すればいいのさ。」
「もう足パンパンだよ、、、僕、体力ないんだよね。」

「疲れたなら、家に帰れば?」

「まだ歩ける。」

「あっそ。」

夜はゆっくりと、着実に更けていく。
服に染み込んだ汗も乾いて、涼しく過ごしやすい時間になった。
でも、山を歩くとなると話は別だ。街灯もない山道は暗い。スマホの明かりだけが頼りだが、昨晩から一度も充電していないのでいつまで保つかわからない。
ガードレールもないので、一歩間違えると急勾配を転落しそうだ。

山に入ったあたりから徐々に口数減っていたが、八時を過ぎたあたりから、私達は殆ど会話をしなくなっていた。
でも別に構わない。アイツと話すのは疲れるし、苛つく。息も切れる。
それに夜は静かな方がいい。
空を見上げると細い、とても細い月が浮かんでいる。
雲もないのになぜか霞んで見えた。
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どれくらい歩いただろうか。
時計を見れば計算できるのだが、かったるい。
三メートル先さえ照らさないスマホのライトが、土と石と植物以外のものを照らしたので、思わず立ち止まる。
私が止まったのを見て、後ろから蔵野が小走りにやって来た。

「どうかした?」

ライトの照らす先には、鉄製の看板が立っていた。新しいので比較的最近に立てられたものだろう。
看板には、『落石によりこの先行き止まり』とあった。
ふたりともしゃがみ込んで、暫くその文字列を無言で眺めていた。

「う、嘘ぉ、、、。」

蔵野が隣でため息混じりに漏らした。
その声には出会った当初の底抜けに明るい色は流石になかった。
散々歩き疲れた末にこれだ。蔵野の顔を見ずとも、絶望に近い落胆があることは容易に想像できた。
だが、私は違う。
こんな些細なことはどうでもいいと思えるくらいには、絶望し尽くした。
学校で習った「無常観」って、こういう気持ちのことを言うんじゃないだろうか。

「仕方ないね。一つ前の分かれ道まで引き返そう。」

「えぇ、、、、前の分かれ道って、一時間くらい前のことじゃなかった?」

「そうだったっけ?」
「ま、立ち止まってても仕方ないでしょ。疲れたならそのへんで座っときなよ。私の知ったことじゃない。」

「、、、非道い女だ。」
「まぁいいや。引き返すなら下り坂だしね、まだ楽か。」

私は立ち上がって、踵を返そうとした、その時だった。

突然視界が暗転した。一瞬身体が浮遊するような感覚が来る。
倒れたことが頭では分かっているのに、手足が動かない。
すぐに痛みと衝撃が背中を走る。

声もあげずに倒れ込んだ私を見て、蔵野が駆け寄ってきた。
差し伸べる手を振り払って、自力で身を起こす。

一難去って、今度は激しい嘔吐感に襲われる。
座ったままで、口を覆う手に向かって込み上げてきたものを吐き出す。
口から吐き出したのは、胃液ではなく、大量の血だった。
買ったばかりのTシャツとパンツが真っ赤になってしまった。
視界は戻ったが、周りのすべてが霞んで見える。

蔵野が動揺した様子で私の名前を呼んでいる。
私は数回咳き込んだ。口内の血が散って血飛沫が服についた。
私は大の字になって地面に寝転んだ。

「ごめん、、、言い出した私のほうが、、、動けくなっちゃった。」
「救急車は呼ばなくていい。呼んだら殺すからね。」

「え、、、ああ、うん、それより、大丈夫なの?すごい血ぃでてるよ。」

「少なくとも大丈夫ではないかな、、、。まぁ、少し休憩したらまた歩けるようになるよ、、、。それまでアンタも、休んでて。」

「う、うん。」

蔵野は私の側に座り込んだが、なんだがソワソワして落ち着かない様子だ。
本当に変わった男だな。
私がもう病気で近い内に死ぬと伝えたときは何も言わないくせに、本当に血反吐を吐いたら性格がまるで変わったようになる。
あんまり動揺するものなので、見ていられくなった。
そういうことにして、私は蔵野に話しかけた。

「アンタ、海で私がした質問、、、覚えてる?」

「え?どれのこと?」

「蟹の話だよ。」
「私が足を引きちぎった、、、蟹。足が二本しかないんだから近いうちに死ぬのは目に見えてる、それでも生ようと藻掻く意味ってあるのか、って質問。」

「ああ、あれね。だから、僕は蟹じゃないから。」

「いや、おんなじだよ。」
「蟹も、私も、アンタも、、、おんなじだよ。」
「私は長くとも一年と生きられない。あの蟹は数時間。アンタは、分からない。」
「アンタがどれだけ長く生きても、あと百年と少し。百年のうちの何処かで、その瞬間は必ず訪れる。逃げることはできない。」
「百年後かもしれないし、明日かもしれない。」
「大抵の人は普段、自分がいつ死ぬかなんて考えない、そして何十年も先まで自分の人生が続いてるって、根拠もなく信じ切ってるの。」
「でも死ぬ。絶対に死んでしまう。」
「そして、死んだら全部おしまいなの、全部終わり。」

「生きること、それはとりも直さず、死ぬことなの。」
「ねぇ、蔵野くん。」

「いつか死ぬのに、生きる意味ある?」

蔵野は、深く考えるように、前を向いたままじっとしていた。
静かな夜だった。静かすぎて不気味なほどに。
私の声だけが森にこだまする。
その静けさは、夜の病室によく似ていた。
絶望が染み付いた空間だ。

「僕は、、、、。そうだね、、、、。」
「僕は、死ぬことが何もかもの終わりだとは思わない。」

「嘘だ。」

「本当、、、だよ。」
「死んでしまったら、僕の人生は終わりだけれど、僕が、僕の人生の中で関わってきた人たちの中に、僕は残ってる。そう思うね。」
「霊魂の話じゃいないよ。僕が関わった人たちには、僕と生きた記憶が残る、その記憶や、もしくは死んだことそのものが、残された人に何かしら、どれほど矮小でも変化を与える。人によって与える影響の大きさは違うけど、確かに何かが変わるんだ。それが、僕が生きた証拠、生きた意味そして。」
「生きる意味になる。」
「だから、僕も墨田さんが死」

「違う。」

蔵野の言葉を遮って否定する。

「それは、、、そんなものは間違いだよ。詭弁だ。死ぬことを受け入れて肯定するための。宗教や来世とおんなじ、詭弁だ。」
「死んだら、生前にどれだけの偉業を成そうが、どれほど愛されようが、関係ない。どれだけの人が自分の死に涙を流したとしても、死んだ当人はそれを理解できないのよ。死んでるから。」
「私が世界だと思ってるものは、私が見て、聞いて、嗅いで、触って、食べて、考えるから、そこに在るの。」
「死んだら、それらはすべてできなくなる。だから、世界はなかったことになる。残された人が何を思っていても、私はそれを知覚できない。その人の記憶も保てない。」
「死んだら、全部終わりなの。生きていなかったことになるの。」

蔵野は黙って聞いていた。
私はなぜだか泣いていた。

「僕は、よく友達に、おかしな奴だって言われる。」

「、、、、だろうね。」

「でも、いつも楽しそうだ、とも言われる。」
「多分僕は、楽しそうだけどおかしな人間、なのだと思う。」

「うん。」

「でも、そんなに嫌な気はしないんだ、そのことに。」
「僕が明日死んだら、僕の友達や家族は、変なやつだったけど、楽しそうなやつだったな、って言うだろうね、きっと。」
「僕はそれが嬉しい。死んだ後そう言ってもらえるために、『死んだ後そう言ってもらえる』って信じて死ぬために、生きてる。」
「死んだら何もかも終わりだとしても、今際の際に、なにか遺せたって思えたら、、、生きてる意味はあるはずだ。」
「そうでなくちゃいけないんだ。そうでなきゃ、、、。」
「そうでなきゃ、君の言う通り、この世の全部の命が、意味のないものになってしまう。」

「だから、、、それであってんだよ。意味ねぇんだって。」
「意味ねぇんだよ全部、私はもうすぐ死ぬんだから。」
「両親が私のために使ったお金も、愛情も、受験勉強も、休みの日に友だちと遊んだことも、将来の夢も、好きな人が居たことも、貯めてたお金も、ピアノ習ってたことも、退院したら海外旅行に行く約束も、嬉しいことも悲しいことも、全部っ、、、、全部!!」

涙が止まらない。
口の端から血が流れる。身体が、頭が熱くなる。
私をあざ笑うかのように、涙で滲んだ夜空は高く、遠く、広かった。

「ああ、、、、、ごめん。取り乱した。」

一言そういって、大きく深呼吸した。夜の空気は生ぬるかった。

「いや、、、別にいいなじゃない?そのほうが自然だよ。」

「なにそれ、馬鹿にしてんの?」

「してないよ。」

「そう、、、、ならいい。」

息は整ったが、まだ苦しい。大声を上げたせいじゃないだろう。
病院を出てから、みるみる体調が悪くなってきている。当たり前だけど。

「、、、、私ね、本当は今日、手術をするはずだったの。」

「うん。知ってる。」

「病院のしみったれた空気が嫌だった。死期を伸ばすための手術が馬鹿らしかった。ここに居たら私の人生は腐ってしまう、そう思った、、、ことにした。」
「私は自分にそう、嘘をついた。病院を抜け出す口実を作るために。」
「私は嘘つきだからね。」

笑おうとしたけど、上手くできなかった。涙声になって少し恥ずかしい。

「多分本当は、手術が怖かったの。後からいろんな理由で肉付けしてるけれど、核心にあるのは、きっとそれだけ。」
「しょうもない話でしょ。でも、それで実際に脱走したんだから、我ながら大したものだよね。」
「まぁ、とにかく、手術が怖かった私は、病院を抜け出して、海に来たの。」
「死ぬために。」

「死ぬために?」

「そう。なんとなく海に来たんじゃない。死ぬために来たの。」
「でも、死ねなかった。」
「蔵野くんのせいじゃないよ。勘違いしないでね。」
「私怖かったの。死ぬのが、怖かったの。」
「馬鹿みたいでしょ?これだけ生きても意味がないって息巻いといて、勇気がなかったの。」

溢れ出る涙を手で拭った。手が血だらけだから、私の顔はきっと真っ赤になっているだろう。涙は止まらなかった。

「死ぬのが怖い、死にたくない。、、、死にたくない。」
「ねぇ、私はどうすればよかったの?これから、どうすればいいの?」
「どうすれば、、、。」

私はもう、自分では考えたくないので、今日あったばかりの見ず知らずの男に短い残りの人生の舵を投げることにした。
彼は今までとは違い、すぐに返答した。


「知らないねぇ、そんな事。」

「墨田さんの人生でしょ。僕の知ったことじゃない。残りどれだけ短くても、選ぶのは、墨田さん自身でないといけない。」
「選択も、その責任も、後悔も、墨田さん自身で背負ってくれないと。僕にはあんまりにも荷が重い。」
「でも、見届けるよ。それは約束する。墨田さんが今から病院に戻っても、海に行って身を投げても、どんな死に方だとしても、それを必ず見届ける。それは最初から決めてたからね。」

「非道い男だ。」
私は言った。

「別に優しくする必要はないね。僕はナンパ師じゃないもの。」
彼は答えた。

笑ったつもりだったけど、かすれた吐息が出るだけだった。

「ねぇ、あんたさ」

「何?」

「なんで私に着いてきたの?」

「え?」

「普通の人は、海で蟹をいじめてる病人にあったら、無視して何処かへ行くものなの。わざわざ門限を破ってまでソイツに着いていって、死生観を話し合ったりしないし、ソイツの死に際を見届ける義理はないんだよ。ナンパ師だってそこまでしない。」
「なのにどうして、アンタは私にそこまでしてくれるの?」

「そりゃあ、、、。普通の人はそうかも知れないけど。」
「僕は普通の人じゃなくて、”変だけど楽しそうな人”だからね。思ったことは偽らずに口にするし、楽しいと思ったら病人にでも着いてく。」

「楽しい?」

「そう、面白そうだと思ったんだ。おかしな女の子が居たからさ。このまま海を泳いで門限通りに帰るより、あの変な女の子に話しかけてみたほうが楽しいと思った。」
「話しかけてみたら、その女の子は不治の病で、もうすぐ死ぬっていうから、着いていくことにした。だって、面白そうだったから。体調悪そうでさ、今にも倒れそうだったからね。」
「僕、目の前で人が死ぬのをまだ見たことがなかったからさ。一度見てみたかったんだよね。」

「何、、、それ、、。それだけ?」

「うん。それだけ。」

「それって、、、好奇心、、、ってこと?好奇心でアンタは私を看取るの?」

「まぁ、、、そういうことになるかな。」

暫くの間、私は唖然として蔵野の顔を見つめた。蔵野も私を見ていた。
嫌な沈黙に耐えかねて、私は笑い出した。喉が擦り切れるようで痛かったけど、声を上げて笑った。

「くふっ、、、あははっ、あはははははははははははっ、何よそれ、、はは。」
「普通はもっと優しいこと言うんだよ!なのに、アンタなんなの?好奇心で人を看取るって、、、サイコパスかよ。」
「アンタ、、、やっぱ最高だね。あははは。クズだよクズ。最低な野郎だ。」

「人聞きが悪いな。正直者って言ってくれよ。」

蔵野も笑っていた。

全く、最高だね。本当に食えない男だ。
アレだけ言ってたくせに。
いちばん大事なとこで嘘つきやがったよ。
ああもう、、、死にたくないな。ほんと、死ぬのは怖いよ。
アンタともっと早くから会いたかった、友だちになれたかも。
そう言おうと思ったけれど、ムカつくのでやめた。
それに、言ったところで意味はない。もう遅い。

死にたくないなぁ、、、。
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人生は無数の選択の連続である、とよく言うが、正確には選択というより分岐点というのが近しいのではないかと私は常日頃から思っている。
選択権が人生の主体者に与えられるとは限らないからだ。
いくつも分かれ道が折り重なって膨大な数を成し、私達は生きている限りこの分岐をどちらかに進み続けなければならない。望もうと、望むまいと、必ず進んでしまう。

毎日分岐に駆られるうちに、自分がどの道を歩いてきたのかわからなくなる者が出てくる。どうしてこの道を選んで、なんのためにここまで来たのかが不明瞭になり、道に迷ってしまう。

迷いがあれど、分岐点は避けられない。
だが当然、指針のない選択をしていれば、確率論的にいつかは必ず間違いを生む。小さな間違いが積み重なって気づいた頃には取り返しの付かない場所に居たりするのだ。

彼らは誤謬の先で立ち尽くす。
そして言うのだ。

「一体どこから間違えたのだろう?」


私の場合は、どうだろうか。

私は、癌で、もう余命幾許といった状態だ。
もう分岐点は幾つもない。私の道は途中から先がない、行き止まりだ。
私は今まで、選択をしているようで、していなかった。
私は所謂、真面目な人間だった。
今までの人生の殆どの分岐を、将来投資のために使った。それはいろんな大人が推奨することだったし、私自身そうしなければいけないという強迫観念のようなものに駆られていた。
もちろん、その将来って奴は私には無かったわけだが。
分岐点はあるようで、ない。選択肢が幾つあっても、選べるのは一つだけだった。
選んだんじゃない、選ばされた、のほうが正しい。

最後の最後、ほんの幾つかの分岐点だけは、自分で選んだ、、、ような気がする。
自信はない。恐怖感によって選ばされただけかもしれない。
でも、その選択に後悔はしていない。
もしも私が癌にならずに今でも生きていたのなら、こんな夜更かしはしない。明日の授業の予習をして、単語帳を読んで眠りにつくだろう。
選択肢は、それしかないから。
残された時間が少なくなって初めて、選択肢が現れた。
とんだ皮肉である。
もしも人生をやり直せるなら、たとえ癌で早逝するとしても、後悔しない人生を送れる自身がある。
でも、そんなことは起こらない。時計の針は右にしか進まない。過去に戻ることはできない。
死ぬことから逃れられないのと同じように。
だから、やっぱり、意味はないのだ。
私の人生に意味はなかった。死んだら全部なくなる。
私は蔵野のようには考えられない。自分が知ることも想像することもできない世界に価値を見いだせない。
なんの意味もない。これまでも、これからも。

けれど、考えることをやめてはいけないのだ。
蔵野は私の質問に答えてくれなかった。
残り幾つもない私の分岐点。それをどう選ぼうと意味はない。
それでも、それでも選ばなくてはいけない。

ああ、困ったな。
まぁいいや、仕方ない。とりあえずこれからどうするか考えなくちゃね。
でも、その前に少し眠ろう。昨晩から一睡もしてない。
ここなら警察も来ないだろうし。

起きてからまた考えよう。

私は蔵野の顔から目をそらし、ゆっくりと瞼を閉じた。





ーおしまいー



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あとがきです。
読まなくてもいいです。むしろ読まないほうがいいかも。

















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