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「自由」や「夢」を感じるために建築が出来ること

結論、「不器用さ」や「未熟さ」を隠すことなく、全面に出すこと。

これこそが、人々が「夢」や「自由」を感じるために建築ができることではないかと思います。

現在僕は京都に住んでいるので、ラグジュアリーホテルに電話交渉して、見学を続けています。その中で見た施設は一つ一つが素晴らしいものでした。

それぞれが一寸の狂いもなく、日常と非日常の境界を見事に表現していました。

しかし、その完璧さが逆に自分との距離を生んでしまったように感じました。その中に「夢」や「自由」を感じることができませんでした。

そこで思いました。建築で人々が「自分にもできる!」と感じるためにはどうしたら良いのか。そして、その答えが

「不器用さ、未熟さ、下手さを全面に出すこと」ではないかという結論に至りました。

安藤忠雄のような偉大な建築家でも、最初は、学歴や社会的地位も低く、未熟で不器用だったはずです。それでも諦めず、多くの作品を世界に送り出してきました。そして、安藤さんの人としての強さ、精神力に多くの方が感動し、共感を生み、夢を持つきっかけになったはずです。

下手くそで不器用かもしれません。
しかし、それ故に完璧を目指し、もがき苦しむ。協力し、創り上げる。その過程を終えて、完成した建築は、それ自体が夢や希望の象徴となります。

雑とは違う凹凸がある壁。

職人や子供、お年寄り、様々な人々が集まって心を込めて作った建築と、職人だけで集まり、一寸の狂いもなく完璧に綺麗に造られた建築。

どちらに「夢」や「自由」、「希望」を感じますか?

これは僕の考えです。

「夢や自由を感じるために建築ができること」と題して。





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