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吹奏楽から学んだこと

最近、中学時代の2つ下の後輩が挙げていたストーリーを見て忘れていた記憶と感情が蘇ってきた。

私は中学3年間吹奏楽部でトランペットを吹いていた。
忘れていたけど今思えば自分にとって唯一愛を注いだと自信を持って言えるのはこのトランペットだったかもしれないなーと思ったので記すことにした。

その後輩が挙げていたストーリーは地元の吹奏楽団のコンサートのことだった。
曲は「喜歌劇こうもりセレクション」。これは中学最後のコンクールの課題曲。この曲にはトランペットのソロがあるのだけどその後輩にとっては私が奏でるソロが一番好きなソロなのだそうだ。
とても嬉しかった、自分の思いが誰かの心で生き続けていることが。
こんな冷静に書いているけど、実際は舞上がるほど嬉しかった!ふふふ

当時、トランペットというポジション柄(これは私の主観だけど)主役は自分だと思っていた節があった。なんたって主旋もいいところ。
特に私の代はそれぞれのポジションに腕のいい子が揃っていたのもあり、各々のレベルが高ければいい音楽は作れるのだと思っていたんだと思う。
合奏よりパート練習が好きだったし、パート練習よりも個人練習、基礎練習が大好きだった。
更に音楽室の窓から見える隣の中学は全国にも出るような強豪校。そこの1stトランペットは同じ小学校の同級生だった。私は小学校の鼓笛からトランペットを吹いているけどその子は中学からだ。尚更負けたくなかったし、まだまだ世界は狭かったから、町で一番うまいトランペッターでいることが自分の存在価値だと思ってた。町にある4校の中学校での合同演奏会、そこでも1stをとれるレベルでありたい。だから自分のいる吹奏楽部で1stでいることは必然だったし、そのために使う時間も労力も苦ではなかった。
いい音を聞くことにも貪欲だったと思う。あと何より朝練のひんやりとした空気の中で奏でる1音はすごく気持ちがいい。これだけで朝も早起きできる。朝早すぎて何回学校のセコムを鳴らしたか分からない。
私の3年間はほぼ毎日トランペットでいっぱいだったと思う。
未だに音楽系のドラマやディズニーのショーを見ながらトランペットの音を聞き定めしてしまう、変な癖が抜けなかったりする。

ただ、今この歳になって思うのは合奏を楽しめばよかったな、ということだ。当時聞いていた音楽はトランペットが中心だったけど、音楽を離れた今は吹奏楽団やオーケストラを聴くことが多くなった。
聞きながら思うのは1人ではないというのは可能性がすごいんだなってことだ。
同じ曲でも同じ音楽はこの世に存在しない、だから尊い。1人が違えば違う表現になる。
プロとか、全国で優勝するような吹奏楽部は緩衝力が違ったんだなと気がついた。
もちろん各々のレベルが高いことは前提なのだろうけど、それが表立って出てこない。それはもう至極当然のことで自分は一音楽の一部でしかないことを自覚している。
1つの目的である「いい音楽にすること」を達成するために全てのパートが協力し合う。
当時の私がこの楽しさに気づけていたらどんな世界になっていたのだろうと思う。
曲全体が1つの絵や1つの物語であって、全員が共通認識を持ってそれを完成させる。各々にそのパートでしかできない役割があって、それを全力で表現するなんて面白味しかないじゃん、と思うわけです。「愛」の塊じゃん!と思うわけです。楽しいよね。

ちなみに最後の大会は地区大会金賞でした。
でも県大会にはいけない金賞でした。いわゆるダメ金。
私の引退はそこで決まったわけだけど今ならわかる気がする、県大会を逃した理由が。
1つの曲を完成させるための共通認識はかなり薄かったと思う、そういうことはしていなかったし、喜歌劇、みなかったもんなぁ。
個人としては町の1stトランペッターになるよりも、自分の音色に合わせて時には1st、時には2nd,3rdができる方がいいトランペッターだったんだろう。
当時の私には緩衝力が足りなかった。あんなに沢山音楽を聴いたのに気がつくのは数年経った先なんだよなあ。
でもまあ、当時とことん自分を高めた経験があるからこそわかったことだと思うので後悔はしてないのだけど。
そんな私の音色が好きだと言ってくれる後輩もいてくれるのだし。

パン学校でも時折出てくる緩衝力。
師匠であるドリアンのパンも、付け合わせにぴったりのパンだ。
お互いがお互いを高め合い引き立て合いハーモニーを奏でる、そんなパン。
ひとがたけのパンもそうでありたいな、と思ったのでした。
気づかせてくれた後輩に全力のありがとう。

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