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「大人」になりたい

私も、よく物事が予想に反したり
思い通りにいかない時・・・
泣きたくなったり、落ち込んでしまいます。

そんな時に思い浮かぶのが
表題の言葉です。

「大人」になりたい

具体的にどうなりたいのか・・・
そう考えてみると今のところ
主に「流す」という行為に
行き着きます。

仏教でも「執着」はよくないもの一つです。
そこまでいかなくても
「思い通りにいかない」
「想定外だった」ということは
自分の願っていたものと
違った現実に遭遇するよくあることです。


心を落ち着かせる散歩道

私も言ったことに
誤解を招いてしまったり
言質を取られたりして憤慨したり
想定外な経験をしたりします。

そんな時は一旦
「自分を保った」状態でいながら
その事実を肯定します。

「過去と他人は変えられない」
の通り想定外は自分の力では
変えられないことがほとんどのような気がするのです。

ここから
また「執着」とも関係するのですが
「0か100かの思考」を利用します。

この世界に
0%の辛さはほとんどないと考えます。
また100%歓喜に包まれるような
状況もありません。

自分の思っている(執着していた)ことに
0%でもなければ100%合致しているわけでもありません。
それが現実ではないでしょうか?

「流す」とは
全てをリセットではなく
何%かの良いところ(合致するところ)に
目を向けて
「しょうがない」で済ませることです。

どうしても
納得できないなら
私は紙になど書き出します。
目で自分の書いたものを見るのです。
そうして
「しょうがないな」と
腑に落とそうと努力します。

粉雪

この一連の動作を
難なくやれる力を持つ人がいるとします。

それが、私の考える
「流す」ことができる
「大人」な人になるわけです。

「流す」
「気にしない」
「しょうがない」
などなど・・・

私の中で
全ての言葉は「大人」という
カテゴリーの中にあります。

世の中には
「変えられるもの」
「変えられないもの」があります。

「変えられないもの」を
すーっと通りすぎうことの出来る
人が大人だと思っています。

そのために
「唯我独尊」の人のように
なってはいけません。
(時には必要ですが・・・😭)

しかし、逆に
人間の喜怒哀楽を
素直に表現できる方も
魅力的な人です。

「きっとこの方は
いろんな経験を通り抜けて
来たのだろう」と感心してしまいます。

私は子供の時から
「自己表現」というのとは
縁のない生活をしていました。

だから
この少なくとも
noteで表現できることが
とても貴重なものとなります。

今回は「大人」になりたいために
私が努力?していることを
述べてみました。

どこか「そういうことあるある」と
感じていただけたら幸いです。
ここまで読んでくださり
ありがとうございます。

では また
おわり

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