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「私」と「命」

おはようございます。

私が毎日noteを更新する理由の一つに
「自己実現」を目的にすることがあります。

「自己実現」とは
自分で意思決定をする
自分で自己完結する
自分の思いを表現する
などなどです。

しかし、最近そんな自分に
疑問が湧いてきました。

毎日穏やかに生活するだけで
満足ではないだろうかと・・・。

それに、「自己実現」とは
諸刃の剣で
そこにばかり執着してしまうと
逆に人生(毎日の生活)が
「虚しく」感じてしまう副作用もあります。

「どんな時も人生に「YES」と言う」諸富祥彦著、PHP

「私」と言う概念は
「私」が生まれてから生じる感覚です。

「私」の「命」と言っても
「命」が先で「私」が後になります。

つまり「私」が「命」をコントロールすることは
順番が逆なのです。

「自己実現」を目指すことはそれに似ています。

私は今まで
「自分を上手にコントロールしたい」と
いろんな本を読んだり、noteを書いたり
して来ました。
でもそこには限界があることに気づいたのです。

毎日、本が読める・・・。
毎日noteが書ける・・・。
毎日の仕事がある・・・。

毎日朝目が覚める。
食事がおろそかにせず食べられる。
好きな本を読んで楽しめることができる。

この世界はグラデーションです。

白か黒では決めつけられません。
それを決めつけようとすることが
私が求めていた「自己実現」でした。

そこに固執することで
なぜか私の生活の向きがどこか別の方向へ向かって
行ってしまったようです。

前述の諸富先生の著書では
「幸せや自己実現は求めるほどに
遠ざかってゆく」と
フランクルの言葉が書かれていました。

まさに「幸福のパラドックス(逆説)」に
ハマっている自分に気づきました。

気づけば「楽しい」と言う
心の声を無視して
自分の向上だけを
第一優先していたのです。
私の心は悲鳴をあげているのに
それを聞く耳も待たずに
悪く言えば
あまり役に立たない
「空論」をただ唱えていただけのような気もします。

(全てのnoteがそうだとは言えませんが・・・)

もっと穏やかに
生活したい。
自分にゆとりを持ちたい。

それは健全な自己愛です。
自分を大切にしていなかった・・・。

大切なのは
「理論」だけでなく
「行動」や「共感」できることです。

「正しく」生きるより
「楽しく」日々を過ごすことです。

「無理をして人のため」に過ごすことより
「自分を労われる人」になれることです。

前述の本によると
「私」とは「命」の表層(現れたもの)だそうです。
自分でコントロールしているものではありません。

大きな気づきでした・・・。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

素敵な休日をお過ごしください・・・。

では また
おわり

fれsrelさん素敵なイラスト
ありがとうございます。


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