見出し画像

「向上心」と「限界」

おはようございます。
kohです。

私のようなメンタル疾患者の
嬉しいことと悔しいことには
紙一重の感情があります。

まずは、嬉しいこと。
人に認められる。
肯定される。
自分をコントロールできる。
など。
これらは
本人の主観的なものです。
もちろん、そこで私は喜びを感じます。

反面、
精神的に(これは、メンタル疾患に関わらず)も肉体的にも
疲れ、疲労が溜まってくること
になりやすいです。

事実、メンタルの問題を抱える人にとって
このキャパシティーは少なくなっていて
「嬉しいこと」があると「疲れや疲労」が
限界まで達してしまいがちになります。

私が甘いところは
その限界を知らないこと。
上手く表現でないこと
自分自身でコントロールできないことです。


このことは
疾患に関わらず、
自分を知るにつれて
最も大切なことになってきます。
なぜなら、私たちは
一人で生活できるわけではないからです。

自分を否定するわけではありません。
また、今まで私のnoteで
冗談を書いてきたわけでもありません。
折に触れて感じたことを
徒然に素直に表現してきました。

それなりの評価をいただければ
自身の「向上心」も「動機づけ」も
増してゆくのは人なら普通のことです。

もう一度言えば
私は自分の限界を
越えようと無理なことをしてしまうことです。

自分の「限界」を知ることは
自分の「向上心」を諦めることです。

私の「向上心」で書いたnoteが
誰かのためになったとしても
その時の実際の私は「限界」になっています。
それ以上は「どんなに理想や希望を述べても」
それらは、残念ながら
全て「紙に書いた絵」にしかならない
からです。

極端に表現すれば
悪意がないと言えども
私は一方で嘘も述べたし
読む人を欺いたのかもしれません。


さて、その償いのために
私は何をすれば良いのでしょうか?

それは、「自分に素直になること」です。

「向上心」に縛られるほどに
「素直さ」は難しくなってゆきます。
優しさもなくなってきます。

それに付随して
「正直」になることです。
なぜなら、「限界」を越えることは
誰にもできません。

百歩譲って無理をしたとしても
続くはずがないのです。

このように
「正直」に告白することが
しいては自分を守ってくれることや
周囲の方にに配慮することに
なることと思います。

「向上心」は自己成長のためには
必須の心境です。
しかし、その裏では
「限界」をわきまえられない
まがまがしいものが潜んでいることに
気づきました。

私は、「穏やか」な一日が好きです。
そのためにも
「正直」に「限界」を「素直」に
表現することも私の
noteでの責務だと気づきました。

本当はもっと「考えるべき」ことは
あるのでしょう。
今回は、ここで一区切りとしたいです。
どうか、お許しください。

最後まで
読んでくださり
ありがとうございます。

今日一日が
穏やかな一日に
なりますよう・・・。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?