エッセイ〜kohの読書案内
「読書の基盤」とはなんでしょう?
私は、それは「古典」だと思うのです。
「古典」といっても
難しいものではありません。
例えれば
宮沢賢治
夏目漱石
太宰治
星新一
芥川龍之介などなど
これの文豪の文章は
「口語文」の言葉(話し言葉)で
書かれています。
内容も複雑ではなく優しい温かみのある
内容です。
人によっては
「ラノベ(ライトノベル)」を推奨する著名人も
いらっしゃいますが、
古典とライトノベルを比べれば
文章の意味の含有率(言葉の意味が含まれている重さ)は
ハンパがなく「古典」の方が大きいと思うのです。
私は本を買うときに
目安にするのは
「私に読める文章か?」という
観点から本を選びます。
しかし、それだと
今の時代「読みやすい本」は
自己啓発などを含め
多数の本が読みきれないほど
たくさん出版されています。
それらは
「分かりやすい」ことでは良いでしょう。
しかし、私はそのような本を読んでも
満足感は味わえないと思います。
昨晩、急に切なくなって
書店で以前から気になっていた
中原中也の詩集を買い求めました。
中原中也といえば例えば30歳の生涯でした。
しかも恋人まで小林秀雄に取られています。
山口県から出てきて
名をあげることを目的にしていました。
詩集なら谷川俊太郎さんなどが有名です。
短歌なら「サラダ記念日」で有名な
俵万智さんなども分かりやすいです。
それに比べても
中原中也の
人生の苦労は
ハンパな辛さではありません。
その苦しみの全てを
その詩人の人生に費やしたのです。
確かに「日本のランボー」と言われる
中原中也ですが
はっきりいって
私を読んでも私には
なんとなく情景しか浮かびません。
意味はさっぱりわからないのです。
そこがいいのです。
理解を求める=その世界をイメージすることです。
イメージを求めるのが読書の
醍醐味です。
簡単に理解できたら
中原中也の良さは消えていると
素人の私にも思えます。
小説といえば、いきなり
「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」では
ハードルが高すぎます。
それより、日本の文豪から
入ってゆけばすんなりはまると思います。
夏目漱石の「坊ちゃん」や
太宰治の「人間失格」や
短編で言えば
「走れメロス」「駆け込み訴え」など。
星新一さんの短編集も短くて読みやすい。
初めてでもとっかかりのある話が
たくさんあります。
芥川賞など敷居の高い小説なら
本家本もとの芥川龍之介を読めばいいです。
彼は短編の作品をたくさん書いたので
「蜘蛛の糸」や「杜子春」など
も今でも読みやすい短編があります。
いきなり海外の
文豪に走らなくても
昔の日本の古典的小説にも
魅力がたくさんあります。
どうしてもお金をかけたくない。
図書館にも行くのが面倒なら
インターネットの「青空文庫」で
ただで昔の「古典」が読めます。
読書にお金がかかるのは
「分かりやすさ」の自己啓発書や
格好の良い(それはそれで悪くないのですが)
海外の小説をめざしてしまうから
でもあると思います。
本当の「古典」を読むのには
そんなにお金もかかりません。
読書というのは
繋がりがあります。
明治時代の文豪などは
ものすごい量の
西洋の古典を読んでいるそうです。
もちろん東洋(論語など)も
範疇内です。
一旦ハマる本を見つけたら
そこからどんどん本の世界が
広がってゆくと思います。
本の読み方は
もちろん自由です。
しかし、
読書にはつながりを感じられれば
もっと面白いものだと考えられると
思われるのです。
おわり
ia19200102さん素敵なイラスト
ありがとうございます。
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