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自分で作る楽しさ

今日、職場の昼休み。

「一汁一菜」を
4週間続けられた!と
職場の人に言いました。

話を聞いてくれた方は
「味噌汁は自分で作っているのではないの?」
と突っ込まれてしまいました。

私は、「お味噌汁」は
簡単な「減塩味噌汁」(つまりはレトルト)を
使用していたのです。

今日の夕飯も
「レトルト味噌汁」でした。

それで食器を片付け
ご飯釜を洗い
明日の分のコメを研いで
気分は終えていました。

しかし、
職場で言われた
「自分で作る」ことが
心のどこかに引っかかっていました。

味噌汁だけ
食事がおわってから
作ってみるのは
おかしいのですが、
材料は冷蔵庫に入れてあるので
実際に、再び
自分で再度味噌汁を作ってみました。

具を(冷凍ネギ、とろろ昆布、鰹節、豆腐)を
お椀に入れ
味噌を入れます。

熱湯をお椀の半分まで入れてから
お箸で「出汁入り味噌」を
研いでゆきます。

よく研いたら
お湯を全体に入れて完成です。

誰にでもできる
簡単な「お味噌汁」です。

しかしです!!

自分で味噌汁ができる。

これは意外にも
自分でも「すごい!」と
感嘆してしまいました。

本来の「一汁一菜」とは
こういうもの(?)なのです。

私は、一応
「ご飯」と「お味噌汁」は自分で賄えられるのです。

残るは「お新香」(漬物や惣菜)だけです。

自分で自分の食事を曲がりなりとも
自分で賄うとは本来なら
このように「ご飯」だけでなく
「お味噌汁」も自分で賄えたら
上出来なのです!!

今はなんでも
簡単に作れるものなど
「簡単に」と銘打ったものが
マーケットに乱立しています。

私たちは
便利だからなどと言って
そのような便利な
頼ってしまいがちです。

元に戻すと
本来の「食事を賄う」ということは
自分で作ることです。

そこには
「自分でできた!」
「自分で作れる!」という
単純な主体的な喜びが
隠されています。

レトルトは便利です。
それも別に悪くはありません。
(今まではそうでした・・・)

自分で「ご飯」と「お味噌汁」を賄える
自信がないから
簡単な出来合いのもので
済ませる。

私はこれは「本来の自立」からは
かけ離れている気がします。

自分本来の生活は
自分本来で賄う。

そこに、「自分でやれる」という
自分への自信が出て来ると思いました。

そうしたら
今度からは「お味噌汁」は
自分で作りたくなりました。

それが
自分自身の
本当の軸になってゆく
気が
すると確信できると思うのです。

周囲の広告に惑わされることなく
自分主体で生活できたら
嬉しいですよね。

本当に家事って大変です。
でも自分でやれることは
自信や主体性を養ってくれると
私は思いました。

それが「お味噌汁」を
自分で作って感じたことでした☺️。

最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

では
また明日・・・。

おわり

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