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感謝の念

昨日は定期通院の日でした。

帰り道に大きな書店があります。
私はそこに立ち寄り
お金(主に貯金)の書籍を
見回していました。
そんなに目ぼしいものはなく
何も買わずに帰宅した次第です。

「なぜ私はやりくりが下手なのか?
お金は残らないのか?」
そんなことを考えながら
運転していました。

しかし、そこであるひらめきが
起きたのです。

私も含め
お金のことになると
どうやって節約するか?節制するか?が
当たり前というか
定番の考えです。


しかし、何故
自分に入ってくる「お金」には
「当たり前」というか
当然と考えてしまいます。

月々、一定のお金が入ってくることは
それはそれで
なんと「有り難いこと」ではないのか?
「感謝」と考えられないか?
と思ったのでした。

収入に「感謝」しても
「お金」が増えるわけでも
ありません。
「生活費」が節約できるわけでもありません。

しかし、この収入でも良いのですが
「感謝」するという行為が大切だと
思うのです。

お金に感謝するという行為は
世界的に共通した
感覚です。

現に「感謝」しながら
お金を使った方が
お金に対する「幸せ度」が時間と共に
下がりずらいという
研究もあります。


もっと遡れば
両親です。
私たちが普通に(例えば)生活できる
ように成長するまでに
どれだけ両親に愛しまれたのでしょうか?

学校一つ入学するにしても
その授業料にしても
生活費にしても
自分以外の人にそこまで
「お金」を面倒を見てくれる存在は
ありません。

私は、盲目に親に「感謝」しようと
するわけではありません。
私にも両親にはいろいろなやっかみも
あります。

しかし、実際にこうやって
社会生活を送れるのは
家族や社会、仲間やコミュニティなど
いろんな人との交流の中
「生かされている」ことだと思うのです。

「生まれながらにして
コミュニケーションの仕方を
覚えている人はいません」
これは、104歳まで現役を貫かれた
医師、日野原重明先生の残された
言葉です。

言い換えれば
「私たちは、生まれながらにして
社会生活を送れるようになれた
スキルがあったわけではない」のです。

それは生きてゆくために培ったものを
恩返しする入り口なのかもしれません。

それに毎日毎日
自分のことばかりを
考えてしまう習慣も
大切な一面ですが
しかしまたさもしい一面もあるものです。

「感謝」を感じたり
「ありがとう」と言葉にすることは
それぞれ自身の感じ方によります。

お金で言えば
「どうお金をセーブするか」より
「どう入ってくるお金に感謝の念が持てるか?」
も大切になるとおもうのですが
いかがでしょうか?

今回は「感謝の念」について
考えて見ました。
ここまで最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

では また
おわり

miki3mikiさん素敵なイラスト
ありがとうございます。

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