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助けて、は難しい

読者さんには、苦しいときやつらいとき、それを相談できるひとがいらっしゃいますか?


ほんじつのおもひ
誰かに、助けて、を言うのはなかなかに難しい.


わたしは、以前、ひとりで「苦しい」を持っていた.
IF(イマジナリーフレンド)に手紙を書くことで、あるいはサイトに書きこむことで、「怖い、苦しい」「漠然とした不安」を吐き出していた.
ぎりぎりで、かつかつだった.

… … …
 助けてが出かかって
 はたと立ち止まる
 だれになら言える
 だれなら心を
 預けられる
 まじめな子として
 通っているわたしは
 友人にも先生にも親にも
 自己開示してこなかった
 そんな関係を築いてこなかった

 笑ってほしいから
 おどけて
 仲良くなりたいから
 ふざける
 根が暗いのを隠そうとして
 染みついたくせが
 直そうとして直らない
  (昔のつぶやきの一部)
 … … …
これを書いていた当時に比べ、「助けてください」と精神科の主治医・心理士に援助を求めることができるようになった.
それが良いことなのか、いまだ精神不安定があるわたしには、明言できない.
明言できるのは、手を開いてくださっているかたがたへの感謝かなと思う.
ちなみに、わたしの場合、言えなかった「助けて」に気付いてつなげてくださったのは、養護教諭だった.
当時はわたし、援助を望み、拒みを繰り返していたけども.苦笑


今も知人には「苦しくて怖くて生きるのをやめたくて」を自分からは言わない.
「なんかあった? 大丈夫?」と訊いてもらって壁を決壊させてしまうことが大半.

上記の昔のつぶやきとは、また違った心持ちで、ためらって、連絡をやめている.
わたしには、大切にしたい、とてもとても大切な友人がいて、親身になってくださる恩師がいる.
そのひとたちを信頼していて、だいすきだからこそ、言えない、言わない.
苦しいとき、連絡先をただ眺めて泣いて画面を閉じる.

わたしが苦しい今、友人も苦しいかもしれない.
「生きるのが怖い、切りたい」なんて連絡して、相手の時間をじゃましたくない.

だから、診療時間外、依頼時間外に、まるっとよっかかれるひとはいない.
そんなときの対処行動としては、処方薬を飲む、依存行動をする、あとは何をするだろう、やっぱり書く、だろうか.

主治医・心理士は専門家であり、決め事ある関係性ゆえに言えるのだとわたしは考えている.
相手が不快になるのではという過度な心配なしに.


相談窓口にたどりつく、こころが苦しいところにあるひとにとって、その過程もまた苦しいように思う.

ひとが怖い.
動けない.
誰を信じていいかわからない.
今の状況が変わるのも怖い.
どう思われるのか不安.
経済的に難しい.
年齢(未成年)や保険証の問題で難しい.

ぱっと思いつくのは、経験も含めこれくらい.
まだまだ、ひとによって苦しい要素はあると思う.
しかも、がんばって助けを求めたとしても、助けてもらえるか分からないし、1回ですべてが解決はしないことがほとんど.
後者は実体験、今この瞬間息をするのもきつい状態で初めて病院を受診したのに、「じゃあまた数週間後に」で終わったことがあった.
受診まで、恐怖や不安や希望や、たくさんの思いを抱えていただけに、落胆し、余計つらくなった.
追い詰められていたぶん期待が大きかったのだと、振り返れば分かる.
十数年蓄積したどろどろが「3,2,1、ハイッ☆」でなくなるわけがない.

あっ!
いいえ、いいえ、絶望を書き連ねて、不安や苦痛を助長したいのではまったくなくて(だからといって問題解決策の提示もできないのですが……)、ひとりで悩まないで相談してね、にすがりたくても手を伸ばすのって難しいよね、という独り言にあれこれ付け足したらこうなってしまいました.
どろどろの、きつきつの、かつかつが「3,2,1、ハイッ☆」でなくならなくても、動いた事実は事実だから――
と、ここから、わたしなりに考えた具体策や方法の案まで書けたら、よいのだろうなと、溜息・反省.

経験談にしても、もう少し具体的に、わかりやすくせねば.
ぼかしすぎず、はっきりすぎず.
画面越しにかけるのにちょうどいいのは、レースのカーテンくらいかしらん.
すだれじゃ見えすぎる.
冬用カーテンじゃ、ごつすぎる.

こんな記事をここまで読んでくださって、ありがとうございました.
起承転結、まだまだ. もどかしい!
文章、中身、精進します;;;

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