エッセイ「数学する友達と」

「みかんが3こ、りんごが4こ あります。くだものは、あわせて なんこありますか」
こんな感じの問題文だったと思う。
「みかんが3こ、りんごが4こ!」
とある小学1年生の女の子は、嬉しそうにこう答えた。

発明王エジソンは、幼い頃、学校の先生に「1+1は、どうして2になるのか」質問をした。先生が、「1個の粘土と、1個の粘土があったら、粘土は2個あるでしょ」と答えたところ、「1個の粘土と、1個の粘土を混ぜたら、1個の粘土になるのではないか」と言って、譲らなかったという。

これらの話は、知っている人もいるかもしれない。

いつからぼくたちは、最初の問題文を読んで、「3+4=7」と計算し、「7個」と答えるようになったのだろう? 彼女の答えは、「正しい」。みかんが3個、りんごが4個、冷蔵庫に入っていたら、みかんが3個、りんごが4個である。幼い頃のエジソンが言ったことも、ただの屁理屈ではない。
なぜ、そこから「3」と「4」という数字だけを取り出して、足し合わせる必要があるのか。なぜ、「1」という量だけを取り出して、足し合わせることができるのか。ぼくたちが、こうした計算をしているとき、「3」や「4」、「1」という数字が元々持っていた、「みかんが3個」「りんごが4個」「粘土が1個」という「意味」と「かたち」は、すでになくなっている。
多くの子どもたちは、小学校1年生を終えるときには、質問者の意図を汲んで、「3+4=7」だから「7個」だと、「1+1=2」だと答えられるようになる。そして、そうしたことの繰り返しを経て、人は、意味を失った数字を計算できるようになっていく。

2×1=2
2×2=4
2×3=6
2×4=8
2×5=10
2×6=12
2×7=14
2×8=16
2×9=18

「にいち が に」「ににん が し」「にさん が ろく」……。小学校2年生になった子たちが、一生懸命「じゅもん」を唱える。初めてかけ算を習ったとき、それぞれの数字には、たしかに「意味」と「かたち」があった。
「クッキーが2まい入ったふくろが、3こあります。クッキーは、ぜんぶで何まいありますか。」
「2」というのは、1袋に入ったクッキーの枚数で、「×○」というのは、袋の数だった。クッキーの枚数を導き出すために、計算をした。
いつしか、中学生になると、2の段のかけ算は、「y=2x」となる。やっていることの本質は変わらない。ただ、ここに書かれた「x」が、かつて袋の数だったことを、ほとんどの人がもう覚えてない。ここに書かれた「y」が、最初はクッキーの枚数だったことを、多くの人は知らぬ間に忘れてしまう。数式は、「意味」を離れて、文字のパズルになっていく。

y=ax+b
√2
ax²+bx+c
F(x) = ax³+bx²+cx+d
F’(x) = 3ax²+2bx+c
sin(x+y) = sin x・cos y + cos x・sin y
z=x+iy

高校までに習う数式に、ぼくたちは、どこまで「意味」と「かたち」を見ることができるだろうか。初めて算数に触れたとき、一つひとつの数字が、クッキーの枚数であったり、袋の数であったりしたことを忘れてしまった人たちは、だんだんと文字をただのパズルと見ることに慣れていく。そして、自分にとって「意味」が分からない文字の羅列に、「意味」や「かたち」を見ようと試みることすらしなくなる。
数学ができる人たち…………、いや、「できる」という言い方は、きっと正しくないのだと思う。
人生で数学する人たち、数学をし続ける人たちには、それがきっと見えている。それを見ようとし続けて、見える瞬間の快楽がある。
彼らの多くが、その快楽を説明できない。どうして数学を続けるのか。好きな食べ物を好きな理由が、「好き」だとしか言えないように、「数学が好きだから」としか言いようのない、何かがある。

「数学は、社会の役に立つ」「数学ができる人は、頭の回転が早い」「数学をすることで、論理的な思考力が身につく」………。
こんなことを言う人たちがいる。けれども、これらの言葉の中には、数学する人たちが本当にやっていること、「数学が好きだから」の「好き」の本当の中身は、きっと何も含まれてない。そして、多くの数学しないぼくたちは、彼らが「数学」と呼んでいることが、いったい何なのか、未だ、知ることがない。

友達が、「a×b」の長さの作図の仕方を見せてくれた。図を見た。ぼくには、いったい何がなされているのか、よく分からなかった。ただ、一つだけ分かったことがあった。
彼には、「a×b」が、こういう風に見えるんだな。
数学する人たちには、数学する人たちにだけ見えている風景がある。彼らには、何が、どんな風に見えているんだろうか。
「これって、何をしてるの?」
「どうして、そうやって解こうって閃いたの?」
そう、聞いてみたくなる。
彼らに見えているものが、ぼくにはまだ、見えていないから。

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